忙しい秋の収穫時のお手伝い (八,九歳)
『私の教祖』から
殊に田植え時や収穫時など百姓の忙しい折には、母親から貰ったお菓子などをわざわざ残しておいて、近所の子供たちを集めてはそれを与えながら一日遊ばせておやりになるのであった。その様子の中には単なる自分の楽しみや遊びだけではなく、幼な心にも少しでも近所の親たちの手助けをして上げたいと思召す心配りのほどが、ありありと汲み取れるのであった。こうして、前川様のお嬢さんはまことに珍しい変わった子だとの評判は、やがてお陰で今日一日ゆっくりと仕事をさして貰えたという切実な感謝と喜びに変わっていった。
『稿本天理教教祖伝』では
八、九歳には、忙しい秋の収穫時など、近所の小さい子供達を遊んでやられたので、その親達も、教祖のなされ方に感心せぬ者はなかった。
『正文遺韻』では
(※現代仮名遣いに変換)
御手助
かく御教祖様は、仕事にご丹精かと思えば、麦秋、米秋という忙しい時分には、隣家の幼児のあるうちへ往って、子どもを貸してくだされといって、おぶって日一日その子のめんどうをみて、その親たちが、いそがしい秋に十分はたらけるよう、ご自身が農の手伝いはできませんから、子どもをあずかって、お手助けをなされてくだされます。これが一日や二日、めずらしさに、子どもを守りするのとは違い、せわしい間は、日にち毎にちあく事もなく、よそのお子のお守りをあそばされたと申す事でござります。ゆわずかたらず、人を助ける親様のお心の理は、そなわってあられて居ります。
まとめ
八、九歳の頃には、忙しい秋の収穫時などに、近所の小さい子がいる家へ行って、「子どもを貸してくだされ」と言った。そしてその子をおぶって、その日一日の面倒を見た。また、母親から貰ったお菓子などをわざわざ残しておいて、近所の子どもたちを集めてはそれを与えながら一日遊ばせた。そこには単なる自分の楽しみや遊びだけではなく、幼な心にも少しでも近所の親たちの手助けをして上げたいという心配りがあった。自分は農の手伝いはできないから子どもをあずかった。これが一日や二日、めずらしさに、子どもを守りするのではない。忙しい間は、日にち毎日あく事なく、よその子のお守りをしたのである。人を助ける”おや”のお心は備わっているのである。近所の親たちも、お陰で今日一日ゆっくりと仕事をさして貰えたと切実に感謝し喜んだ。
(続)
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