裁縫の手並みも一人前以上に上達 (十二,三歳)


はじめに


針仕事について。


『私の教祖』から

 針仕事や編み物、機(はた)織りなどについて見ても、一度として師匠に就いて学ばれたこともなく、ただ幼い頃から母親のお仕事の側で、見真似、物真似で手慰みをして過ごされただけであるが、八、九歳の頃には既に機織りの技も会得され、十二、三歳の頃にはいわゆる白機ではなく、縞物の機をも見事に織りこなせる腕前におなりであった。
 又この頃には裁縫の手並みも一人前以上に上達なされ、自由に大巾木綿を裁ち切って、立派に仕立て上げる事がお出来になった。その他編み物や押絵などの細工物にもきわめて堪能で、人がちょっと風変わりなものを持っているのを見れば、自分で工夫をして直ぐに同じようなものを作ったり、鳥や獣や草花の姿形なども自由に押絵や縫い物におこしらえになった。聡明英敏で、又まことに器用であられた教祖は、すべての物事にわたって殊更教わらなくとも、見聞きする中に自ら工夫して何時しかその技に通達して、何時の間に覚えられたのか、全く不思議なくらい非凡な技を現された。

P.97



『稿本天理教教祖伝』では

 針仕事は、師匠につく事なく、母の膝下でひとりでに上達されたが、一度見たものは、そのまま型をとって細工物に作り、十二、三歳の頃には、大巾木綿を裁って、思うままに着物を仕立てられ、機織りも、人並み優れて織りこなされた。……
 聡明で器用な生付きの上に、何でも熱心に習い覚えて万事堪能であられ、素直な親孝行の方で、いつも喜んで母親の手助けをなされた。

P.12


『正文遺韻』では

(※一部現代仮名遣いに変換)

御教祖様は、八九歳のころ、既にこのはたごへのぼって、木綿をおおりなさる事は、たくみでおあり遊ばされたのでござります。

P.5


御記憶と御勉強
 また全体物事にお勉強あそばされたのみではなく、お生れつきご記憶が宜しくて、一度見たり聞いたりした事は、よくお心に納めてお忘れになりませぬ。また人にお話になりますにも、子供のようにはなく、よくこまかに道理にかなうお話をあそばされて、いいおとすような事はありません。

 その位でござりますから、飛ぶ鳥を見ては、そのすがたをきりぬき、又それをぬいにこしらえたり、或は人がめずらしいぬいものや、こしらえものをもって居りますれば、一寸ご覧じてすぐにおこしらえになるというようなわけで、すべてご記憶がよろしいのに、お勉強が一通りでないのですから、ご上達もその筈でござります。

・・・・はりしごとなどは、十三才よりこちらへは、御勉強のできるわけはござりませぬ。然るに一人前をすぐれて、たちぬひの道に達し、その外おもちゃのようなちんだとか、人形だとか、鳥だとか、花だとかいう類のこしらえものは、誠にご器用に出来ていて、 お道始まってからも、これは幼少の頃こしらえたものやと、お見せくだされた事が、ちょいちょいありましたと、古い人の話でござりまして、実にまねられぬ位に、できておったそうでござります。

 ご老年に及んで、ご困難の時代には、針の師匠をなされて、はり子を育て、その日をお送りあそばされた事もあって、今にその時のはり子などが、感心しての話を往々聞く事がござります。またお道しんじんの為に、よって来た婦人方にも、めずらしいぬい方や、たち方や、拵え方を教わった人が、ちょいちょいござります。かかるお手際は、これ皆十三才までに覚え込みになっていたわけであって、実に恐れ入った事であります。

P.7



まとめ

また物事全般について学ぶだけでなく、生まれつき記憶がよくて、一度見たり聞いたりしたことは、よく心におさめて忘れなかった。また人に話すときも、子どものようではなく、よく細やかに道理にかなう話をして、人を言い落とすようなことはしなかった。

 針仕事や編み物、機(はた)織りなどについても、一度として師匠に就いて学んだことはなかった。ただ幼いころから母親の仕事の側で、見まね、物まねで手遊びをして過ごしていただけだった。それが八、九歳の頃にはすでに機織りの技も会得していた。十二、三歳の頃にはいわゆる白機ではなく、縞物の機をも見事に織りこなせる腕前になっていた。
 また、このころには裁縫も一人前以上に上達していた。自由に大きい木綿を裁ちきって、立派に着物を仕立て上げることが出来た。その他編み物や押絵などの細工物にもきわめて堪能だった。人がちょっと風変わりなものを持っているのを見れば、自分で工夫をして直ぐに同じようなものを作った。飛んでいる鳥や、獣や、草花の姿形なども自由に縫い物にこしらえた。記憶がいい上に、勉強が並大抵でないから上達もその筈であった。聡明英敏で、またまことに器用であった教祖は、すべての物事について殊更教わらなくても、見聞きしているうちに自ら工夫していつしかその技に通達していた。いつのまに覚えたのか、全く不思議なくらい非凡な技を現すことができた。

お道が始まってからも、これは幼少のころこしらえたものやと見せられたことがちょいちょいあった。実にまねられぬくらいにできていた。

 (老年に困難を通っていた時代には、針の師匠をして、針子を育てて、その日を送ったこともあったが、今になってそのときの針子などが、感心して道の話を聞くこともある。またお道の信心のために、寄ってきた婦人方にも、めずらしい縫い方や、裁ち方や、拵え方を教わった人がちょいちょいいた。その手際は、すべて十三才までに覚え込んでいたわけであり、実に恐れ入ったことである。)


(続)


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