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自分がたすかった話



今回は、自分の話をしてみようと思います。


稿本天理教教祖伝逸話篇

(…教祖(おやさま)の日常のお言葉や面影の話を持ち寄って二〇〇話綴られている)

にあります。

一〇〇 人を救けるのやで

から


命をたすけられた小西定吉が

「この御恩は、どうして返させていただけましょうか。」

と尋ねたところ、教祖は

「人を救けるのやで。」

「あんたの救かった話を人さんに真剣にさしてもらうのやで。」

とおっしゃられた、という話が残っております。


この話から、天理教では自分のたすかった話をするというのが一つの主流です。




なので、僕の話を。




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僕は、ADHDという大人の発達障害じゃないかと悩んでいた時期がありました。

診断されて確定というわけではないんですが、その傾向は確実にありますね。


今や社会的に”大人の発達障害”の認識や関心がかなり増えてきて、大っぴらに自分はADHDだ、アスペルガーだ、と発信する方も多いぐらいですが

僕が新卒入社のレストランで奮闘していて、自分自身そうなんじゃないかと悩んだときには
世の中的な認識もほとんどなかったり、仕事も退職してしまったことで
僕にとって大きな問題であり、自分の先の人生真っ暗なんじゃないかと、絶望感さえありました。


そんなときに、親が天理教を信仰していたことから、天理教の教えを学校で勉強し、身に行って3か月間おぢばで修養する、修養科というところに入るため、天理に行くことになりました。

そして、そこでの生活が僕の価値観を180度変えるものになります。


修養科がはじまると、一緒に授業を受けるクラスの中に、重度の発達障害で2歳年下の男の子がいました。(以後、A君とします)

僕は、親が信仰していることもあり、それまでに天理教の教えを聞いたり、学生の行事ごとに参加したりはしていましたが、神の存在というものに確信を持てず半信半疑でいました。

しかし天理教において、

「心の誠真実さえあれば、どんな病でもたすけていただける」

という話は今までに聞いていたので、何とかしてA君の発達障害が良くなったり、人生を良くしてやれないかと思い、この3か月という期間に神様にかけてみることにしました。

神様の存在が半信半疑な中、神様をためすようなつもりでした。若さゆえの猛烈な考えでしたね。


修養科の先生が

「神様というのは見えるようになったら信仰する、というのではなくて、こちらから信仰するから神様が信じれるようになるものだ。」

と言っておられました。

僕はもう、とことん先に歩み寄り、信じて祈念し、やれるだけやってみようという気持ちになっていました。

レストラン時代にたたき上げられていた面、努力はとことん突き詰めてやるもんだという気概がありました。


天理教では
「神様におはたらきいただくために、人に喜んでもらうことをすること」を理づくりといい、僕は理づくりをとことんやることで何かはたらきを見せてくださるのか、という実験に出たのです。

僕の理づくりは、本部の神殿で体(主に足)を悪くされている見知らぬ方に声をかけ、おさづけを取り次がせてもらうというものでした。

おさづけとは、親神様のご守護を、病人やけが人の患部に取り次ぎ、身体の回復を祈るというものです。

神様のご守護を願う人にとって、おさづけを取り次いでもらうというのは嬉しいものであり、中には涙を流して喜んでくれる方もいました。

これを一日に一人以上に必ず取り次ぎ、のちには路傍講演で天理教の話をしたり、朝早く起きて掃除や、おてふりなど、時間さえあれば出来ることは何でもしました。


そしてA君は重度の発達障害。突拍子もないような発言をしたり、急に走り回ったり、集合時間にも一人で来れないほどの状態だったので、僕はお世話取りとして、常に一緒に行動をしていました。

この子の先の人生を思うと、何とかしてあげたいという気持ちでいっぱいで、隙間時間に人や神様に喜んでもらえることをしては、その喜んでもらった理はすべてA君のために使ってくださいと、お願いする日々でした。


そうした日々を過ごしていると、自分の身の回りで良いことが起こるようになってきました。色んなものをもらえたり、おさづけをさせてもらった人が詰所にまでお礼に来てくれたり、青年会長様と路傍講演をご一緒する機会までいただけました。

人に喜んでもらうことをしていく中に、自分も喜べることをたくさん見せていただき、それが楽しくてどんどんのめりこんでいきました。

働いていたときは、あれこれ努力しても認められず、逆にミスばかり頻発していたのから一転、自分がすることなすことがどんどんうまくいく方へ運んでもらっているような感覚でした。


そんな中で修養科も2か月目ごろ、
発覚したのが、A君の家庭環境に問題があるということでした。

僕からしたら、直接家庭に介入して、話し合いをしたかったのですが、教会の系統が違うからそこまでは手出ししないでくれ、と拒否されてしまいます。
(※天理教の教会は、教えは統一ですが教えが伝わったルートによって教会が系統分けされています。)


そこの系統の先生自身も、あまり本腰を入れて介入しようとせず、そのままでは、良くなるはずがありませんでした。しかし、修養科にいた大きい教会の会長さんからも、「A君にはあまり深入りせず、自分の教会でも同じような人はいるから、そこでおたすけをしたらいい」と言われます。


僕は今、目の前にたすけてあげたい人がいるのに、それは置いておいて、都合のいい人がいたらおたすけをすればいいというのが、それが天理教のいう人だすけなのかと、どうしても納得できませんでした。

なので、あくまでたすけるという姿勢を貫きました。
しかし直接は手が出せないために、もはやできることは、神様を通じてA君のたすかりを願うという、間接的なことしかできません。それからはこんなことをしていても意味があるのかと疑問に思いそうになりながらも、神様におはたらきいただくため、自分の決めた理づくりを毎日やり続けました。


すると3か月目、奇跡が起きます。

修養科では、各系統ごとに詰所で寝泊まりして学校に行きますが、そのそれぞれの詰所にお世話や指導をしてくれる先生がいます。そのA君の3か月目の先生にすごい方が来てくっださったのです。

その先生は、A君の問題の根本は家庭にあるとすぐに見抜き、僕はなかばあきらめていた家庭への介入をどんどん進め、親を天理まで呼び出して僕と対面させ、これからについての話し合いにまで着手してくれたのです。

歳は50手前ぐらいで、若くしてそこの大きな教会の役員という立場で力を持っていて、おたすけの経験値もあり、問題を見抜く目もあり、話し合いを運んでいく頭の良さもある。
それでいて、目の前のただ一人をも放っておかないという、自分にないものを持っていてかつ、やりたかったことを全てやってのけてくれたその先生は、僕の中ではスーパースターのように見えました。ほんとに。

話し合いの後、「よかった」と一緒に涙を流してくれ、握手を交わしたのを覚えています。

大きなポジションでやっておられる、信仰を長いことやっている方でも、目の前の一人を粗末にしない、一人に寄り添える、こんな人もいるんだなと天理教に光が差したようにも感じました。そしてこんな大人にならないといけないなと強く思いました。

この出来事は、クラスで懇意にしていた、社会で働き上げてきた会社の重役だった男性も「こんなことは社会ではありえない。これは奇跡といえる」と言ってくれるほどでした。


話し合いの対面が実現し、家庭問題の解決に前進できた後、夕づとめで1日の感謝を伝えていると、涙があふれてきて止まりませんでした。

「よかったなあ。A君ほんまによかったなあ。ありがとうございます。」

と思っているだけで、泣けて泣けて、大粒の涙が止まりませんでした。僕はあまり泣けないたちなんですが、このときだけは涙をこらえようにもこらえきれず、おつとめの間中ずっと泣いてしまっていました。

感動してこんなにも泣けたのは初めてで、しかもそれが人のことでこんなに泣けるんだと、自分でもびっくりしていました。

当の自分にしかわかりにくいものかもしれませんが、間違いなく人生最大の感激でした。

そのときに強く、

「やってることは必ず返ってくるんだ、返してくださるんだ」

と神様のはたらきとおたすけの喜びという、何とも言えない大きな感動が残りました。このときの感激は今でもずっと胸に残っています。

そしてその体験を通して、僕は自分がADHDでもそうでなくても、どちらでもいいと思えるようになりました。

そこで苦労していたから、A君や、同じように発達障害の人を笑わずに真剣に寄り添えるんだ、人をバカにせず弱い立場の人達の気持ちがわかってあげられるんだ、と

それまで先の人生に絶望感を与えていたほどの
つらいこと”が”ありがたい”という真逆のものに変わったんです。
これは僕の中でものすごく大きなことでした。


修養科の先生が

「人がたすかってる姿っていうのは、誰か人をたすけるために動いてる姿なんだよ」という話をしてくれたことがありました。

これは、
僕はA君をたすけるために自分のことはどうでもいいと思って尽くし続けていた、そうしていく中に自分の悪いところを抑えてもらい、より成人(成長)させてもらえた というのが一つと、

人のためを思って動いて尽くすことで、人をたすける喜びを知れるということ

それが、人間は陽気ぐらし(=たすけ合い)をするために創られたのであるから、人生最重要の醍醐味を知れたということ

"たすかっている"ということだと思います。



人をたすける喜び。
これは世間一般でも、人の役にたったり、人に与えただけが自分の幸福感である、と言われている通りです。

そして、
自分のことの喜びより、人が喜んでくれた喜びの方が喜び度合いは超えると聞いたことがあります。

実際にあの日感じた喜びは、今まで自分が感じたどの種類の喜びよりも大きく、心に残るもので、あれが今もあるからこそ、こうして神様を求め続けられます。もはや人だすけの魅力に取りつかれてしまっています。



そしてときどき、
飲食の奮闘時代を思い出すと、もっと頑張れたんじゃないかとか、もうちょっとでも続けていれば何か違ってたんじゃないかと後悔のように思う時が今でもあります。

しかしおやさまは、「用に使わねばならんという道具は、痛めてでも引き寄せる」と仰せ下されました。

僕自身、あのタイミングで引き寄せていただき、A君と出会えたから
あの修養科の同期のメンバーだったからこそ、あれだけ頑張れてご守護を見せていただけたんだと思うと
あのタイミングで仕事を辞めていてよかったんだと思いなおせます。あの体験に勝るものはないのです。


人だすけに動いてる姿が、たすかってる姿だということ。

人をたすけることで、おたすけの喜びを味わわせていただき
自分の嫌だったところ、つらかったこともこれでいいんだ、ありがたいと思えること

また人だすけしたいと思えること

神様の存在を信じられること

ほんとに自分自身がたすけていただいたなと思います。


わかるよふ むねのうちよりしやんせよ 
人たすけたらわがみたすかる

おふでさき 三 47





※Aくんとはそれ以来地元で2回会い、今でも連絡は来ていて一生付き合っていく仲です。



最後までお付き合いありがとうございました。



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