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元の理 (簡略ver2)


はじめに

天理教では「元の理」という神話によって
神様の方から、人間をつくった元初まりを明示されています。

こちらの記事にもある『正文遺韻』のこふき話の「元の理」を、簡略化し紹介します。




古記


 この世の本元は、地や天、海や大陸もわからず、世界も無く、人間もなく、泥海ばかりしかなかった。
 神というのは月日である。
 月神は"くにとこたちのみこと"という。日神は"をもたりのみこと"という。

 月神が先に国床を見定めつけて、日神に談じ、

「泥海の中に、月日だけでは、神といって敬うものもなく、何の楽しみもないゆへ、人間というものをこしらえ、その上世界をはじめて、先々では人間に神が入こみ、色んなことを教えてかかり、陽気遊山を見よう」

と相談をさだめた。

そして人間をこしらえるには、雛形道具無くては出来ないから、雛型見出そうと、泥海の中を見澄ましたが、泥噌(どぢょう)ばかりしかいない。その中には"魚"も"みい"も、その外のものも混じっている。この"魚"は"ぎぎょ"という。また人魚ともいう。顔は人間の顔で、鱗はなく、人間の肌。また"みい"は白ぐつなという。この者は人間の肌にて鱗なし。この者たちの横目ふらず一筋な心姿を見て、これを引寄せ、雛形として貰い受けようと思った。そこで、嫌がって逃げているものを、無理に引寄せ、楽しみのはなしを聞かせた。

「人間をこしらえ、世界をこしらえたその上は、この世の親神といって、拝をさせる。また、この世の年限が経ったとき、元の屋敷へ連れかえり、陽気遊参をさせよう」
と、承知をさせて貰い受けた。
これを人間のたね、なわしろと成し、これに神名を授けた。ぎぎょを"いざなぎのみこと"、みいを"いざなみのみこと"とした。

 これに仕込む道具を探そうと見澄ますと、巽の方に亀がいる。これを"女の一ノ道具皮つなぎ"とし、これに神名を"くにさづちのみこと"と授け、また乾の方に鯱鉾(しゃち)が居る。(川で鯉というも同じ)これを"男の一の道具、骨の守護"とした。これに神名を"つきよみのみこと"とした。また東の方には鰻がいる。これを"飲み食い出入りの守護"とし、これに名を"くもよみのみこと"とした。また未申に鰈がいる。これを"息吹き分けの守護"とし、これに神名を"かしこねのみこと"。また西の方に黒ぐつながいる。これを"粒毛一切引出しの守護"、神名を"をふとのべのみこと"とした。丑寅の方に鰒(ふぐ)。これを生死の"えんきり、よろづ切るものの守護"、神名を"たいしょく天のみこと"とした。

また泥鰌が九億九万九千九百九十九いる。これを魂とした。これらを引寄せて、道具の魂になってくれと頼むと嫌がったので、
「神といふて拝をさす、また世の年限経ったなら、元の屋敷へ連れかえり、陽気遊参をさす」
と約束をして、承知をさせて貰い受けた。そして食べて心姿味わいを見て、それぞれ道具の魂とした。

月神の食うた方を男と定め、日神が食うた方を女と定めた。岐魚(ぎぎょ)へ男の一の道具をしこみ、月神の心が入り込み、みいへ女の一の道具をしこみ、日神の心が入り込んだ。そして北枕西向に寝て、九億九万九千九百九十九の人数を、三日三夜に、「奈無なむ」とニ人ずつ宿しこんだ。そこに三年三月止まって、それより岐と美と共々奈良初瀬七里の間へ、七日かかって産みおろし、残る大和中四日かかって産みおろし、(この十一日を産明けという)山城、伊賀、河内、この三ヶ国へ十九日かかって産おろし(都合三十半帯屋という)。残る国々へ四十五日かかって産おろし終わる。(これにて七十五日、これを帯屋中という)。

 その産みおろし毎に親の息をかけておき、いざなぎのみことは、一度産おろしまわりて隠れてしまった。この産みおろされたものは五分から生まれて五分/\と成長して、九十九年に三寸までに成って、みな果ててしまった。また一度教えた守護で、宿しこみ、三年三月とどまった後に、元の日数の如く、日本国中七十五日かかって産みおろし、この人も五分から生れ、五分/\と成長して、九十九年で三寸五分まで成長して果ててしまった。また元の胎内へ元の人数を宿しこみ、三年三月止まって、元の日数の如く七十五日かかって産みおろし、この人間も五分から生れ、五分/\と成長して、九十九年に四寸まで成長した。

 これを見て、
「これならば、五尺の人間に成る」
と、月日が仰せ下さった。それを喜んでにっこり笑って、いざなぎのみことも姿を隠された。

 この四寸の理と、にっこり笑ったという理をもって、生れ出る穴は四寸に二寸、死にゆく穴は四尺にニ尺というのである。
このとき四寸まで成長していたものも親のあとを慕って、みな出直した。最初産おろしの地場(ぢば)を宮地とし、二度目の地場を墓地とし、三度目の地場を原地、また辻々(観音、地蔵その他)参り所とした。これを一宮、二墓、三原という。

 それより、鳥、畜、虫、異形の者に、八千八度生れ変わり成長を繰り返した。それ故今の人間は、何の真似でもできるのである。この年限は九千九百九十九年。この年限満つる時、皆死亡した。その中に猿一匹残った。これが"くにさづちのみこと"である。この者の胎内へ月日の守護で男五人女五人と、十人ずつ宿しこみ、十月経って、この人も五分から生れて、五分五分と成長して、八寸まで成長した時に、泥水の中に高底が出来かけた。そして一尺八寸に成るまでに、子が親と成り、元の人数生み揃い、水と土が分かれかけた。一尺八寸に成ってからは、男一人女一人とニ人ずつ宿し込んだ。三尺まで成長した時に、初めてものを言う事となった。今の人間も、三歳でものを言い出し、知恵も出来てくるのは、この理である。三尺よりは宿し込みを一人と定めた。これまで順々成長に応じての食物を与えて来たのである。五尺になるまで人間の成長に応じ、天地、海山、水土を分けてきたが、五尺になったときに、速かに完全に分かれた。

 人数九億九万九千九百九十九人の内、大和国へ産みおろした人は、日本の地に上った。また、ほか国にて産みおろした人は、唐や天竺の地へ上っていった。そこでその地のことを外国という。

 この年限、九億九万年の間は水中の住まい、陸に上がって六千年は月日からいろいろなことを教えた智恵のしこみ、それより今日まで、四千年の間は文字を教えた。これら万事は月日が入りこんで教えて来たことである。この年限である九億九万九千九百九十九年は、四十九年以前(本教の立教の時点)に経ったのである。 


月日よりたん/\心つくしきり
そのゆへなるのにんけんである

おふでさき 六 88


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