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ワルツの名は「マド」 それは、生涯愛した妻の名前

昨日の東京は、肌寒い雨がしのつく秋の日でした。どんよりとしたそんな日は、なんとなく遠いパリを思い出してしまう私です。一転、10月23日の東京は爽やかな秋晴れでした。皆様いかがお過ごしだったでしょうか。

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さてさて、先日バンジョーウクレレの飯田柊哉さんと撮影したコラボ動画をアップしました。

今回のコラボは「ミュゼットの父」と呼ばれているエミール・ヴァシェ(1883年5月7日-1969年4月8日)のワルツ「マド」です。このタイトルは一目惚れして以来、生涯を共に歩んだヴァシェの愛妻の名前です。

【参考】エミール・ヴァシェ(仏語・Wikipedia)

この、ヴァシェの在り方、生き様には特別な感慨を抱く私。ファーストCDのライナーの謝辞にも「私のスーパーアイドル」トニー・ミュレナ氏の名前に先じてミュゼット先駆者たちの筆頭に掲げてあるくらいです(でも痛恨のスペルミス有り。詰めが甘いワタクシです)

このミュゼットという、色々な要素が集まって出来た、時代とアコーディオンという楽器、そしてパリという場所が交わることで生まれた奇跡の宝箱のような美しい音楽のパイオニアとして、心から尊敬しています。特に彼とシャルル・ペギュリの試行錯誤による発明と言われている「ミュゼットチューニング」のキラキラとよく通る音色に魅せられた私にとって、とても特別な存在です。

さて、そのヴァシェは楽譜は読めず書けず、でも稀代のメロディメーカーであり、その頭の中には幅広いジャンルをカバーする膨大なレパートリーがあったと言われており、更には記譜してくれた仲間には曲を惜しげもなくプレゼントしたとも聞いています。その彼のオリジナル曲を楽譜に起こして出版し、その売り上げから作者として手にした莫大な印税の消えた先は…馬券(!)というのも、お金に無頓着で執着がない、豪快な昔気質の芸人らしいエピソードで気に入ってます。

ところで、英語で「(楽器を)弾く」と「遊ぶ」がどちらも同じ "Play" であるのは皆さんご存知かと思いますが、それと同じくフランス語も両方に "jouer" という単語を使います。生前、人がヴァシェに楽器のことを聞いたつもりで「どこでjouerしてますか?」と質問した時に「競馬のコースでjouerしています」と答えるという「お決まり」があったようで、その洒落っ気ある返答が競馬への「のめり込みっぷり」を今に伝えています(ヴァシェの作品にはロンシャン競馬場の名前を取った « Auteuil-Longchamp »というポルカさえあります!)

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そんな「稼いでは散財する」タイプの大スター本人の回想に、後の奥さんとの馴れ初めが語られています。自分の店で演奏していたら後に夫人となる "Mado" が豪華な毛皮のコートを着て友人に連れられて訪れて来たのが目に入ったので、その瞬間一目惚れした彼はすっ飛んで行ってそのコートを脱がす手伝いをして丁重にエスコートしたこと、ヤキモチ妬きのヴァシェは演奏中でも奥さんが誰かと談笑しているのを見かけるとアコーディオンを放り出して、その席へ割り込みに行くなんてエピソード、ひとつひとつが人間臭くてとても愛すべき人柄を表しているように思います。

ミュゼットブームが下火になった後に、何度か表舞台へ誘われても「俺みたいな時代遅れをみんなで笑いたいんだろ?そんなところへノコノコ出て行くのはゴメンだよ」と断り続け、楽器が改良されてクロマチックアコーディオン全盛の時代になってからいくら勧められても「オレはこっちの方が慣れているのさ」と最後までディアトニックアコーディオンを使い続け(注)、小さなアパルトマンにひっそりと住んでいる往年の大スターの傍らに寄り添っていたのは、他ならぬ "Mado" だったのはとても美しいお話しだと思いました(直接の人柄を知らないので、もしかしたら色々と周りは大変だったのかもしれませんが・汗)

【Jo Privatの経営していた伝説のバルBalajoにて、小さなディアトニックアコーディオンを弾くエミール・ヴァシェ 1951年・蔵書L'accordeon quelle histoire!より引用】

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そんなこんな背景の数々を頭に巡らしつつ、奥さんの名前がつけられたワルツ «Mado »を改めて聴くと、全然違う景色が見えて来るのではないかなぁと思います。

皆さんも、大切な方とどうぞ素敵な週末をお過ごしください!

ボタンアコーディオン安西はぢめ

(注)エミール・ヴァシェは父親が初めて買い与えたディアトニックアコーディオンを手にして以来、楽器に独自の工夫と改良を加えるも調べたところでは右手側はDAE3列・左手側はクロマチックの「ミックス」システムの楽器を使っていて、時代が下りクロマチックの楽器が整って来てからも、それは変わりませんでした。どんな優れた楽器も彼が馴染んだディアトニックの楽器でできるプレイを超えることはできなかったと語っています。そのため、ヴァシェの作品にはDGAEなどシャープ系の関係調で完結するものが多いです。日本では原調と違うキーで演奏された音源を元に耳コピして、それが主流になって流通している曲もありますが、移調して演奏するケースがない訳ではないものの、ジャズなどのようなジャンルに見られる移調の自由とは少し性格が違うので、ミュゼットとヴァシェの音楽世界の成り立ちを思う時、私は出来るだけオリジナルのキーで演奏したいと思っています。これについて個人的には、クラシック音楽を勝手に移調しないのと似ていると思っています。幻想即興曲ならあのキー、子犬のワルツならあのキー…など、ピアノ曲に限らず弦楽四重奏でも交響曲でも(初心者向けのアレンジなどには例外が見受けられますが)調性を変える事はほぼありません。ただし、歌曲や主奏を他の楽器に移す時には、音域の都合によりその限りではありません)

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