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国史蹟 湯島聖堂芸術講座「中国古典音楽講座」講師拝命のご報告

この度、亡き師坂田進一先生の後任として湯島聖堂の中国古典音楽講座の講師を拝命しましたのでご報告致します

湯島聖堂といえば、その建物は文化財、五代将軍綱吉公以来、元禄3年(1690年)を起点とすれば創建332年の歴史がある、皆様ご案内の昌平坂の学問所。日本の学校教育発祥の地とも謳われる由緒正しい場所です。

最初は生前に「代講」としてお話を頂いておりましたが、ご逝去に伴い正式な「後任」となりました。お話し頂いた時には驚きましたが、坂田先生が一番大切にしていらっしゃったお教室という事を30年来見てきましたので、その火を絶やさぬよう、すぐにお引き受けする覚悟を決めてお返事致しました。過日理事会の承認を経て正式に受任する事と相成りましたのでご報告いたします。まずは既存の生徒さんたちとの信頼関係を築く事に傾注しようと思いますが、ゆくゆくは独自のカラーを出しつつ、中国の民間音楽に親しみ楽しんで頂けるクラスの創造を心掛けてまいります。まだまだ勉強を続ける所存ですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

「湯島聖堂斯文会 芸術講座No.56」 
中国古典音楽 月一回月曜日開講 13〜15時 定員15名 年間全10回。途中入会可。見学随時。お問い合わせ→0332514606

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そもそも私は、18歳の大学入学(中国語専攻)と時を同じくして坂田進一門下に入り、二胡を皮切りに笙や揚琴などの楽器を通して中国の古典音楽を修行していました。学生時代から先生の伴奏などでお仕事先に度々呼んで頂き、そのお姿を近くに見て参りました。その後カルチャースクールで長く教えていた経験もあります。演奏家としての仕事も引き受けていましたが、イベント会社から来る電話は「中国人で女性の方を紹介してください」というものが圧倒的に多かったので「日本人で男性」の私にニーズは少なく、二胡は「レッスンプロ」と割り切って「日本人に分かりやすく」を心掛けて活動していた時期が長かったです。それが一変したのは東日本大震災の時。多くの方が突然の出来事に亡くなったり、予想外に環境が変化して暮らしぶりが激変し翻弄されるのを見て「私もいつ死ぬか分からない存在なんだな」と思い至り、いつ終わるか分からない自分の音楽人生を見つめ直してアコーディオン以外の楽器を全て処分したのでした。そしてその時に持っていた二胡の教室も他の先生にお願いして、中国音楽に関わるものも楽器、蔵書、楽譜など、全て処分してしまいました。その頃していた地歌箏曲の修業も止める事にして、同じく楽器や楽譜なども兄弟弟子に全て渡しました。いわば決意を固めてアコーディオン人生を歩み始めたという訳です。お陰様で今、数多くの皆さんからはアコーディオン奏者として認識して頂いている昨今ですが、それ以前にはそういう経歴があったのです。

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しかし震災から十年経ち、このタイミングで敬愛する亡き師匠の後を託される事になり、神様と先生から「またそろそろアコーディオン以外の音楽も触ってみたらどうだ?」とお許しを頂いた気持ちです。そして湯島聖堂の管理団体、公益財団法人「斯文会」の皆さんからも温かく迎えて頂ける事になり、背中を押して頂いてその責務と既存の生徒さんたちのことを思い、身が引き締まる思いです。

この湯島聖堂の大成殿では坂田進一先生が長く入場無料のサンデーコンサートを開催していました。しんしんと雪が降り積もる日に1人も聴衆がいなくとも、ヤブ蚊が飛び交う季節には蚊取り線香を焚きながら、とにかく毎月最終日曜日には演奏の輪に加えて頂いて来た思い出の場所。そこで講師を務める日が来るとは予想だにしませんでした。遺志を継いで、広く社会にも還元・貢献できる音楽活動をして行きたいと思っております。

【湯島聖堂「大成殿」内で行われていたコンサートにて(撮影年不明。90年代)】

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そんな経緯がございますので、中国古典音楽を講じる安西の一面も十年ぶりに再開いたしますのでご報告し、また広く知き応援して頂けましたら幸いです。

また、これを期に二胡の個人レッスンも再開しました。「中国音楽の小学校」をコンセプトに「創樂社」という音楽教室を創設しました。楽しく幅広く中国音楽の世界を楽しんでもらえる教室を運営します。ご希望の方は気軽にDMでお問い合わせください

いつも温かいサポートをどうもありがとうございます。お陰様で音楽活動を続けられます!