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【日々これ #25】「note を書こう」とすると、書けない。

今になってやっと、アニメで『鬼滅の刃』を見ました。話題になりすぎていて、見ないつもりだったのに、1話見ただけでハマりました。落ち着いたら漫画を集めようと思います。 Anzaki です。

さて、1週間毎日 note も、6日目を迎えました。

40記事くらい書きためてたのに、今書こうと思うとなんか書けない、という状況でしたが、

「40記事もためてたってことは、7日くらいその日に思いついてその日に書けるっしょ」となめていたのですが、いざ机に向かうと。。。

あれ、何書こう・・・
あれ、何も思いつかない・・・

「note を書こう」と思うと、note は書けない!!

です。

で、どうして「note 書こう」と思うと書けないのか、考えてみました。

手段が目的になっていた

これに尽きるなと。

「note を書こう」と思ってタブレットを開いてしまっている時点で、
note を書くことは、目的になっていました。

しかし、ぼくにとって note を書くという行為は、目的ではなく、あくまで手段です。

言語化する力を鍛えること、考えることを放棄しないこと、これがぼくにとっての目的です。

この目的の達成を目指すには、継続が必要で、
言語化や思考のためのツールを継続的に利用することが、目標です。

そして、日々、「note を書く」という具体的な手段をやっています。

となると、ぼくがタブレットを開き、note を書き始める前に、思考があり、言語化したい対象があり、それを具現化したいという想いが前提にあるはずです。

いっぱいあるんですが、その対象が明確になってなかったんですよね。

ぼくが考えるべきは、「note を書こう」ではなく、「あれってどういうことかな」「これは何を意味するんだろう」と考えること。

日々の情報を見過ごさないこと、なんです。

机に向かい、突如タブレットを開いたぼくの脳内は、「何も考えてない」でした。

note を書くことが当たり前になってきたからこそ、こういう状態になったんだと思います。確実な前進です。

目的のために、目標を設定し、それらの達成のために、具体的な手段を尽くします。

目的、目標、手段、というものの棲み分けがしっかりできていないと、
「動きたいのに動けない」という状態になっちゃうんだと、身をもって体感できました。。。

とまぁ、そんなところなんですが、

もうちょっとだけ、掘り下げます。

中には、次のことを思った方もいらっしゃるのではないでしょうか。

「書くためには、考える工程が必要。なら、書くは目的で、考えるは手段なんじゃない?」

少なくとも、ぼくはその思考にもなりました。

「〜〜のために」というと、その対象は目的と言えそうですよね。

さっき、目的、目標、手段の棲み分けとかいったのに、
ここにきて、また散らかってしまいました。

でも、でも、でも。

大筋は、目的があって、目標があって、手段がある、で良いと思います。

ただし、目的、目標、手段の下には、別の目的、目標、手段があるのだと思います。

どういうことか。

ぼくが先ほどあげた、目的、目標、手段は、「大目的、大目標、大手段」です。

で、「note を書く」という大手段(必殺技出てきそう)を実行するために、「深堀りする」対象となる「考えたいことを見つける(インプットする)」という工程があります。

この工程も目的、目標、手段、に置き換えられそうで、

「note を書く」→小目的
「深堀りする」→小目標
「インプットする」→小手段

となります。

つまり、大きな目的・目標・手段があり、
その下に、小さな目的・目標・手段があり、
実行に移すときは、「大手段」を「小目的に置き換える」ということです。

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今回のぼくは、「言語化の力を鍛える」大目的が、いつの間にか「note を書く」にすり替わっていた、というのが結論になると思います。

うっかり、小さなところで落ちついてしまう(note を書いて満足してしまう)ところでした。

ということで、
note が書けない話を、note に書く実験、成功です。

ではまた。

P.S. ぼくは図式化が下手くそで、こんな工程を踏みました。

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以上です。

(この話が誰かの何かにつながりますように・・・)

【参考】

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