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誤字脱字は小さなミスであり、信用の浪費である【日々これ #43】

あんざきです。

今回は、ちょっと緊張しながら書いてます。
誤字脱字について、文章を書いているからです。

ここから先、「誤字脱字は良くないよ!」という話をします。
この記事に誤字脱字があったら、その瞬間、この記事の価値が激減してしまいます。

だから、緊張して書いてるわけです。

では、書き進めます。

誤字脱字が生まれるプロセスに目を向けてみる

誤字脱字というのは、何かというと、
読んで字の如く、間違った字や、抜けちゃう字のことです。

「明日、友達に合うつもりです」とかは誤字ですし、
「よろしくお願い致ます」とかは脱字です。
「人の話しを聞く」とかも、いわゆる誤字脱字に含まれるでしょう。

で、これは全部ちゃんと注意してれば気付けるレベルのはずです。
もっというと、メールとかだと、気付いてるけどそのまま送ることもある、なんて人も結構いる気がしています。
※日々、そんなミスする??みたいなメールを受け取ってます。

誤字脱字が生まれるのは、不注意です。

「誤字や脱字を頻繁にしてしまう」を抽象化すると、
「小さなミスを見逃す」になるはずです。

小さなミスは、大きなミスに繋がりかねないのは言うまでもありません。

ちなみに、小さなミスは、すぐに埋め合わせることができます。
というか、多くの場合、何もせずに埋め合わされています。

きっちり謝罪すれば埋め合わせできますが、
誤字脱字くらいで謝罪する人は少ないでしょう。

小さなミスは、何で埋め合わされているか

僕が思うに、その時に埋め合わせをする材料は、自分の「信用」です。
小さなミスを見つけた時、チラッと気になりはするものの、わざわざ指摘しないと思います。
が、その時、「この人いい人だな」って思う人はいないと思います。
「あー、ミスっちゃってるなー」と思うはずです。

この時、取り返しのつかないことまではなりません。
なりませんが、ちょっぴり期待が下がります。

「小さなミスを見過ごす人」というイメージになると、
仲間は自分に、ちょっとした仕事は振ってくれないでしょうし、
お客さんは、ちょっとした相談をしてくれないでしょうし、
小さなチャンスを逃すことになりかねないと思います。

でもその程度です。

決して大きな痛みは伴いません。

ただ、、、

チリツモヤマで、小さなミスの積み重ねは、
結局大きなチャンスの喪失になりかねません。

ミスを埋め合わせるのは、自分の信用であり、
信用が底を尽きたとき、その人との関係性は切れてしまいます。
※信用は無限ではない。

人との縁が切れると、巡ってくるチャンスも減ります。

誤字脱字をしてしまうことは、
楽しく、豊かに生きることから、ほんの少し遠ざかることだと、
ちょっと大げさに捉えておくくらいがちょうど良いと思います。

ということで、小さなミスは謝るほどのことでもない分、
自分の信用を少し削っちゃってることをわかっておかないとなという話でした。

さて、誤字してないかな・・・

ではまた。


(この話が誰かの何かにつながりますように・・・) 
(「スキ」は結構モチベーションになってます、ありがとうございます)

【参考】


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