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「なんにもない」という強さ【日々これ #56】

あんざきです。

最近は、週一のサウナが習慣になってきています。小さい頃は、父親について行っては先に出て、水風呂に足だけ浸かってたのを懐かしく思います。

今回は、言葉遊び回です。

この前、こんな記事を書きました。

この中で、「なんでもいい」と「なんにもない」を数字で表すと、
「なんでもいい」は無限大で、「なんにもない」は0と捉えられる。
けど、この2つは極めて近しい、みたいな話をしてました。

今回はこれの続きなんですが、友達が面白いことを言っていたので、それについてです。

「なんでもいい」を過大評価した記事だけど、本質的に同じなら、「なんにもない」が過小評価されてるとも言えるよね。


なるほどー、と思いましたね。これは。

僕の解釈で掘り下げます。

たしかに、僕が書いた記事は、「無限大のものが0とほぼ一緒」という言い方をしたので、
「なんでもいい」を過大評価してるよね、そんな価値ないよ、という立場です。

僕は無意識に、高い方を低い方に合わせました。

友達が言ってたことはこの逆で、2つがニアリーイコールなら、
「なんにもない」という0を、無限大に近づける、つまり、「なんにもない」が過小評価されてると捉えて、引き上げることもできるよね!という話なんだと思います。

低い方を高い方に合わせているわけです。
 
(さて、この辺でもうややこしいです、頑張ってください)

別の言い方をしますと。。。

「なんでもいい」という無限大は、「価値がありそうでない」のに対して、

「なんにもない」という0は、「価値がなさそうである」かもしれないです。

なんにせよ、「なんにもない」ことが、実は結構いいことなんじゃね?という話です。

「なんにもない」良さがある

そう思って考えてみると、確かに、「無いこと」には価値がありそうです。

例えば、「ミニマリスト」なんて言葉が浸透して久しいですが、いろんなもの、ことを最小限にする考え方です。0に近づけてるわけですね。

もともとは、政治とか芸術とかで使われてた言葉みたいですが、「部屋の中のものや持ち物を極力減らす」みたいなことで広まってると思います。

無いことによって余裕ができ、他のことに時間やお金を使える、みたいなメリットがあるはずです。

他にも、「断食」「絶食」なんてものがあります。宗教や医学の分野で意図的に行われます。胃の中を「なんにもない」という0の状態にするんです。

これも無いことによって、初めて分泌される成分があり、精神面、肉体面の健康に繋がるとされています。

ここから言えるのは、

・「なにんもない」状態は余白や余裕を生む
・「なんにもない」ことによって変化が起こる


とかでしょうか。

余白や余裕は、新たな挑戦につながるかもしれませんし、
変化が起こると、今までにない発見ができるかもしれません。

つまるところ、「なんにもない」には、それこそ無限大の可能性が秘められているのかもしれません。

ということで、過小評価されてしまった「なんにもない」というのを、半ば強引に「無限大な夢」につなげてみました。
#デジモン #バタフライ

ではまた。

(この話が誰かの何かにつながりますように・・・) 

【今日の一枚】

ちょっと前に行った韓国系のカフェに置いてあった、というだけのやつ。なんかいいよね。

【参考】


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