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クラフツマンシップを基調とした小売りとは?- 2009年3月のブログ

2009/3/17

ぼくはイタリアに来てから、ワイシャツはトリノの決まった店で買ってきました。中心街にあるその店は裏に工房があり、全てオリジナルブランドです。色も生地もよいだけでなく、痛んだ襟や袖を交換してくれるのです。およそシャツは、襟や袖が傷んでも他の部分は全く問題ないことが普通ですから、この方法はすごく合理的で気に入っていました。ですから14年前にトリノからミラノに引っ越しても、トリノに行く機会がある時、新しいシャツを購入し、痛んだシャツの修理を依頼してきました。そして、出来上がると宅急便で送ってもらいました。

しかし、トリノとミラノは120キロは離れています。そう用事もないと、シャツだけのためにトリノに出かける正当性は得にくいということになります。それで3-4年前から、ミラノでシャツを買うようになりました。しかし、未だオリジナルでも、襟を交換してくれるところはありません。正確に言うとないわけではないのですが、「襟を作って直すと、新しいシャツを買うのと同じくらいコストがかかるから、そんなのやめなよ」と言うシャツ屋が多く、仕方無しに、使い捨て文化に染まることになりました。

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が、シャツをたたんだときの皺のより方などをみると、やはりトリノのお店のもののほうが良いのです。無駄な皺がよりません。もちろんミラノにも沢山シャツ屋はありますから、トリノと同じレベルの同じ方式の店もあるのでしょうが、それを探し歩くほどの暇もないし、人に聞き歩くほどシャツに熱心になりません。そうして、この3-4年が過ぎました。しかしながら、ミラノのモンテナポレオーネ通りにある刃物専門店ロレンツィのマウロ・ロレンツィ氏から彼の店の哲学を聞くうちに、ぼくのシャツに対する妥協が恥ずかしくなってきました。ある有名なファッションデザイナーが「ぼくのシャツを襟を交換しながら長く着てくれているのを見るのは、とても幸せだ」と語っていたことが思い出されました。

ロレンツィのお店については、「下坪裕司さんとのおしゃべり」で話題にしました。

見た目のインパクトが強くなくても、それぞれがとっても高品質。決して安くはないけど、がんばれば手が届かないわけじゃない、そういうモノが揃っている 店がいいですね。世界中のいいものがあり、でもオリジナルがある・・・ミラノのモンテナポレオーネ通りにある刃物のロレンツィが理想の商売ですね。どの店員も質が高く深い知識があってね。それで、コレというものを、世界中の人がそれを目指して買いに来る。

そこで、ぼくはロレンツィの経営者と雑談してきたわけです。実に堅実な考え方をしており、それが逆に刺激的でした。今年1月に80周年の記念パーティを開催したようですが、その彼にぼくは「貴方の現状に対する不満は何ですか?」と聞きました。「えっ、そんな質問をのっけからしてくるなんて初めての経験だなぁ。私的なレベル?それともビジネス?」と聞き返してきたので、ぼくは「両方」と答え、約2時間に及ぶ雑談がはじまりました。

何回かに渡って、このことについて書いていきます。

2009/3/18

1929年、モンテナポレーオネ通りに初代ロレンツィが自分の店を持ちました。最初は刃物を研ぐことがメインの稼ぎでしたが、顧客の要望を聞いて、自分たちでデザインし、職人が作るというサイクルを続けているうちに、自分たちのオリジナル製品が増えていきました。1959年、三人の子供が店を継ぎ、そのうちの一人は後に独立します。1960年代、葉巻やパイプブームがあり、葉巻やパイプを扱うようになります。これも葉巻のカッティング等で刃物が必要ですから、あくまでも刃物の延長線です。今回お会いしたのは、三代目のマウロ・ロレンツィ氏ですが、伯父さんにあたる二代目アルド・ロレンツィ氏も現役です。

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ここの従業員は全て男性で、店でお客さんの対応する人達は皆30代後半以上です。最低5-6年、倉庫でモノをよく知ってから初めて客の前に立たせてもらえるのです。自分で商品に触り、知識を仕入れ、扱い商品に愛情を感じないで、どうしてお客さんの前に立てるのだ?というのです。刃物のよさを説明するのは難しく、それこそスペック表があるわけではない。それでメッセージを伝えるには、長期間の下積み生活が必要です。5-6年というのは、やっと店に立てるときであり、それなりの仕事ができるようになるのが15年程度。20年で一人前という世界です。

つまり、製品そのものの理解に時間がかかり、かついわば抽象性の高い製品であるということですが、それだけでなく、彼らの扱い商品点数はなんと1万5千点にものぼるということもあるでしょう。セレクトショップとしては膨大な点数です。これを全てPC管理しているわけではなく、約半分しかデジタルデータ化していません。後は手書きです。それが「商品知識が身につく」コツだといいます。お客さんの要望を聞いて、ピンとくるには、商品と触れる絶対的な時間量が要求されるのです。どの店員も一流ホテルのコンシェルジュのようなムードがあります。そして、お客さんもそれなりの年齢以上。「どうして、人生経験の乏しい30代以下で良いモノを見極めることができるのか?」と言われたとき、ぼくもハッとしました。

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ユーザーインターフェースの仕事をしていると、新しい感覚や考え方の担い手として、10-20代の人たちの動向をぼくもよく見ています。そのときは、それでいいのですが、ある重みと深みのある領域では、それなりの人生経験をお客さんに要望して当然なのだということを、「大人の文化」のあり方として再認識しました。それは、ロレンツィの店の方針を聞けば分かりますが、彼らは「お客様のいうことは全て正しい」という考え方をしません。お客さんはもちろん大事ですが、お客さん、作り人、売る人、これらの全ての関係が良好でそれぞれがハッピーであることを目指すのです。そのためロレンツィは、「その部分が壊れたら、新しいモノを買ったほうがいいですよ」とは決して言いません。修理をして使えるようにし、それを何度も繰り返し、そのモノが次世代に継がれることが、彼らの希望なのです。

かつて英国の紳士は、新しい靴は執事に履き慣らしてもらい、その後に自分で履きました。常にメンテナンスを怠らず、靴底やかかとを修理し、できるだけ長い間使用する。それが紳士のスピリットとして評価されました。「まさしく、これと同じ考え方を我々はするのです。良いモノを長く使う。それによってそのモノがより磨かれる」と、マウロ・ロレンツィ氏は語ります。

「ブランドで売るということはしない。我々はモノを売るのです。それを気に入ってもらい、それがロレンツィの商品だと後で分かればいいのです。ですから、商品のなかで、我々のブランド名はできるだけ小さく隠れるような存在になっています」と言うので、「じゃあ、この隣近所のファッションブランド店とは”戦っている”わけですね」と質問すると、「ある意味ね・・・」という答えが返ってきました。

2009/3/18

モノを大切にしないのは、モノをつくった人に対して失礼であるという考え方があるのですが、ファッションあるいは流行志向は、この考え方に反するわけです。マウロ・ロレンツィ氏が店の周りを遊び歩いていた1960年代のモンテナポレオーネ通りは、いわゆるブランド街ではありませんでした。貴族が多く住む高級住宅地ではありましたが、通りには普通の店が構え、それが徐々に70年代になるに従いファッションストリートに変貌していきました。ですから、ブランドの権化のような空気のなかで、「我々は流行に左右されない」と言い通すのは、実にシビアな戦いです。

世界中の政財界のVIPがこの店を訪れ、ロシアの大金持ちには、従業員も含め店ごと言い値で買取、モスクワに店を開きたいとオファーを受けても、それは精神的な目標が違うと言って断ります。実は、このエピソードは伯父さんのアルド・ロレンツィ氏が書いた著書のなかで読んだのですが、マウロ・ロレンツィ氏に「お客さんで特筆するような要望を出した人はいますか?」と聞いたとき、「我々はクラシック商品を扱っている。私は紺のスーツが好きだ。あなたは今グレーのスーツを着ている。グレーも好きだ。それが我々の世界なんだ。黄色いジャケットを着る人は、我々の普段目指す世界にはいない。そういう例を挙げても意味がない。私はビジネスの哲学を話すのが好きなのです」という台詞が返ってきて、ぼくは「お見事!」と思わず感嘆しました。

彼は世界中を旅しています。刃物の生産国は、主要なところでは、イタリアのほかに、ドイツ、フランス、米国そして日本です。日本にも毎秋出かけ、岐阜の関や新潟の三条のメーカーを訪ねます。ここで刃物に関する今まで抱いていた素人の疑問をぼくはぶつけてみました。「どうして、ヨーロッパのナイフは日本の包丁のような切れ味がないのか?どこに違いの原因があるのか?」と。

彼はこう答えてくれました。「まず、日本の包丁は片方の手でしか使えないアンシメトリーになっている。そして、刃を直立させて切る時と、刃を寝かせて薄く切ることがある。まず、これがヨーロッパの使い方と違う。そして、日本では食卓でナイフは使わないように、厨房で全てカットする。しかし、ヨーロッパでは、食卓でカットするから、日本ほど前段階で丁寧に切る必要がないんだ。そしてタイプでいえば、ヨーロッパのナイフは用途別に沢山種類がある。しかし、日本は一つで色々な用途に使うようになっている」

「まあ、こういう背景はあるが、結局のところ、日本人は刃物の切れ味に多大なこだわりをもったからとしか言いようがないと思う。これはヨーロッパがもちきれなかったこだわりだったのだろう。ところで、刃物というのは、どれが調理用でどれで武器になるか、定義が極めて難しいものだ」

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「上の写真のようにもてば、縦にトントンと切る料理用ということになる。しかし、下の写真のように持つとどうなのか? これには人を刺すイメージがあるだろう。同じモノでも、もち方によって、こんなにもイメージが変わるものなんだ」

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この指摘は面白いです。とても暗喩的でもあります。

<上の握り方を説明する写真は、後でぼくが自宅で撮ったものです。包丁はロレンツィで買ったものではありません)

2009/3/18

お店はモンテナポレオーネ通りに面していますが、実は奥に普通一般には公開していない博物館があります。それは髭を剃る安全剃刀のコレクションです。刃物は男の文化だとマウロ・ロレンツィ氏語り、そこに何らかの攻撃的な暴力的な匂いを感じるからではないかと想像します。実際、子供が店にきて喜ぶのは男の子が多く、女の子はあまり関心を示さず、示したとしても鋏だといいます。しかし、髭剃りとなれば、これは完全に男の世界です。この連載の初回で紹介した写真も、この博物館のものです。18世紀なかば、フランスで初めて生まれた髭用の安全剃刀で、その使用法がスケッチで描かれています。皮膚を間違って切っても、深くいかないようなシステムが、この時代に開発されたわけです。

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ここには紀元前のエトルスク時代の剃刀も保有しており、約4千点のコレクションがあります。安全剃刀は19世紀半ばの産業革命後、大きく発展したようで、驚くのは1900年代前半に既に5枚刃の剃刀があったことです。しかしながら、ものすごく高価で一般に普及するような代物ではなかったのです。いや、5枚刃に限らず、この安全剃刀は一部の階級に限られて使用されていたようです。実際の剃刀だけではなく、ポスターや剃刀の商品箱もガラスケースの上に見られます。

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刃物を如何に愛しているか、これらのコレクションの数々をみてもよく感じることができます。刃物の経験、レベルの高いお客さん、優れた職人、これらの組み合わせが、一つの確固とした世界を築き上げ、それがビジネスとして回っていくのです。イタリア人は哲学を語るのがおおむね好きですが、その哲学と実践に乖離があることも当然よくあることです。しかし、このマウロ・ロレンツィ氏と話していて、「このメッセージ力があれば、必ず商品も売れるだろう」という気持ちになります。メッセージをどう伝えるか、このお店でヒントを得ることは多いでしょう。一言でいえば、ここには全てがあります。全てがコンパクトに小気味良くまとまっています。ミラノサローネのとき、少し時間をあけて、「実践的クラシックの世界」を味わうことをお勧めします。

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