意味と審美性の関係を問う
ポッドキャストの2回目をリリースしたのですが、はじめ審美性と意味の関係の話をしていたのですが、自己陶酔の方に移りながらだんだんと離れていって、とうとう最後まで戻らずじまいでした 笑。
しかも途中で1台の方の録音が止まってしまっていて、それに気づいて戸惑っているところまで公開してしまいました。編集しない方が楽しいよねっと。
いや、イタリアの企業は意味のイノベーションが得意であり、それは意味を求めるのが好きとしか言いようがない、ということを言い始めたわけです。これ、最近、ずっと考えているのです。ベルガンティが言っている「イタリアの初等教育にあるアート教育が、アートヒストリーにおける意味を探求させる」といった説明が、どの程度、裏付けとして有効かって。
それから、この録音のなかで、八重樫さんが価値にはさまざまな段階が設定されがちだけど、意味は「あるか、ないか」となることが多いと指摘しているのですよね。ぼくは意味には「浅い、深い」があると言っているのですが、それぞれの言葉に適用させる形容詞から、言葉の意義を探るってリバースエンジニアリング的かなとも思います。
それにしても、意味をつくっていくデザインが大切だと盛んに語りながら、意味についてまだ上手く説明できていないなあとは反省するところです。そして思うに、これだけデザインにおける意味形成の重要性を「再発見」というか「再評価」しているなかで、「デザインってスタイリングだけじゃない」と言った軽い物言いを聞くと、これはまずいよなあ、と思うのです。
だからこそ、意味と審美性の関係をもう少しマシに説明できるように努めようっと!
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