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ドン・キホーテが風車におびえたのは、風車の普及が北欧と比べてスペインのラ・マンチャでは遅かったからだ。

読書会ノート

全6巻の2冊目に入った。目次構成からすると12回の読書会分。毎月2回だから、これから半年間はこの本とおつきあい。

ブローデル『物質文明・経済・資本主義 15-18世紀 日常性の構造』第5章 技術の伝播ーエネルギー源および冶金 鍵となる問題ーエネルギー源

エネルギー源は人力、家畜の力、水力・風力、帆、木材、石炭とあり、これらが時間の推移と地域に従って配分に変化がでてくる。18世紀末において1位は牽引用動物であり、2位は薪であった。

一方、注目すべきは基礎的な技術は産業革命以前にコンポーネントとしては用意されていた、という点である。歯車やチェーンなどが大きなシステムのなかに組み込まれていくのが、産業革命以降だったのである。それによって必要なエネルギーの量は大きく拡大した。そのリードをしたのが英国であった。

さて人力である。奴隷制にみるように、人間に一定の価値を認めない限り進歩はない。エネルギー源以外の価値を認めるとき、それに代わる手段を探すことになる。一番の代役が家畜であった。これは世界の場所によって種類が異なる。ヨーロッパでは馬や牛、アフリカや中東では駱駝であり、アンデス山脈の羊ーリャマーは高山の希薄な空気に絶えられるものだったからだ。

また18世紀の南米では騾馬(雄のろばと雌の馬の交雑種)が100万から200万頭おり、「モータリゼーション」の先進例である(住民5-10人に一頭)。

しかし、動物の種類だけがエネルギー源の量を図る目安ではなく、そこには道具の進化も貢献した。11世紀まで馬の労働力は人力の4倍であったが、12世紀に馬の肩にかける首馬具のおかげで、それまでの4-5倍の労働力を獲得し、農地での作業から運搬に至るまで馬の活用範囲が大幅に広がった。その後、長い期間に渡ってヨーロッパは馬不足に悩まされ、良馬の密輸も行われる(奇妙なことに、その監視は宗教裁判所のもとで行われた)。

また、第一次機械革命とも称すべき時代が西ヨーロッパの11-13世紀である。水車と風車の増加がみられたのだ。古代ギリシャの頃から水車はあり、ローマの時代には水平水車から垂直水車も開発され、歯車装置もあったにもかかわらず、水車の数と利用範囲の増加が、11-13世紀に顕著だったのだ。

そして機械革命の第二段階が17世紀である。水車は領主の持ち物であり、そこに自給自足が可能な基礎単位が形成され、そこから交換経済によって商品が集散し、工業都市がつくられる。つまり河川にある水車を掌握した者が工業都市のシステムの鍵となった。また、風車は水車より普及が遅れたが、北ヨーロッパの方が南ヨーロッパと比較すると早かった。ドン・キホーテの風車に対する怯えは、風車を目にしたことがなかったからだ。

木材が18世紀以前の主要エネルギー源だった。機能的材料と木炭である。薪は暖房、窯業、鋳造業、ビール醸造業、精錬業、塩田に至るまで使用された。そのためにヨーロッパの森林資源が使い倒されたが、その資源はイスラム圏と比べると実に豊富で、イスラム圏の長期的衰退は森林資源の貧弱さにも原因を求められる。

11-12世紀から石炭はあったが、15世紀にリエージュ(現在のベルギー)と英国のニューカッスルという2つの炭田が突出した成功をおさめていた。そして18世紀以降の石炭の世紀を迎える。

<分かったこと>

ブローデルは経済に組み込まれない限り森林資源に富はないと書いている。森林を開拓して農地にするプラスとそのマイナスを計算し、森林をそのままにしておいて富があると主張する人たちへの反論である。ここにおける富が短期的な富を意味するのであればブローデルの言う通りだろうが、地球環境を基にした森林保護という考えがブローデルの視野にまだ入っていなかったのだろう。本書の原型は1969年刊行であり、ローマクラブによる「成長の限界」は1972年だ。

冒頭の抜き絵は「働いている木こりたち」。1800年頃の低地ブリュターニュ地方と推測される。パリの民衆芸術・伝統博物館所蔵。

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