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『ヴェネツィアの家族』辻田希世子を読む。

ヴェネツィアの家族』はタイトルからするとイタリア生活記です。ただ、ちょっと違うのですね。

この本のレビューを書きますが、背景について少々説明しておきます。

筆者の辻田希世子さんは友人です。20年近く前、彼女がヴェネツィアに生活していた頃、大学の同窓生としてミラノで知り合いました。彼女はヴェネツィアで10余年を過ごした後、イタリア人の旦那さんと別れ、娘さんを連れて日本に戻ります。

東京でも何度かお会いしてきましたが、昨年、永田町の焼き鳥屋のカウンターで彼女と食事をしながら、ブログ「トリリンガルマダム」に書いている話は書籍にするとよい、と話しました。

内容が成熟していて、かつ文章が見事だったのです。そうしたら、あのブログには毎回、数日を要していると教えてくれ、文章にどれだけ磨きをかけていたのを知り、驚きました。

あのブログを読んで本になると思った人は、たくさんいたはず。だから、この7月に刊行されたことにはまったく不思議がないです。

レビューを書くにあたっては、少し客観的な目をもった方がよいと思い、ぼくの奥さんにも本を読んでもらい感想を話し合いました。そのうえで、レビューを以下のように書きました。

― 冒頭と以下でヴェネツィアのモザイクの工房を訪問したときの写真を掲載しています。この本を読んで、なんとなく工房の雰囲気を思い出したのですね、本の内容とはまったく関係なく。

ヴェネツィアにあるモザイクの工房、Orsoni の作業風景

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ヴェネツィアの家族』は著者がヴェネツィアで過ごした日々の想い出を記している。ヴェネツィアでの日常生活がディテールに渡って描かれている。

しかし、不思議だ。

ヴェネツィア、あるいはイタリアの生活を紹介した本とは分類し難い。

なぜなのか?

ヴェネツィアの生活が前景でありながら、読後は前景が静かに後景になる。辻田さんの考え方、あるいは心での捉え方がより強烈に読み手の心に残るのだ。

そして、とてもフラットな世界が広がるのがすがすがしい。人とのつきあい、イタリアと日本、言語、どれをとってもフラットである。しかも、フラットであることに気負いがない。

この本には悪人が出てこない。皆、良い人だ。その筆頭は義父、つまりは舅である。

ヴェネツィアで船会社を家業として継いだ義父は、彼の代で経営権を人手に渡すとの苦渋の決断をした人だ。その彼が、息子と別れた辻田さんがヴェネツィアを去った後も数年間、毎夏、辻田さん親子に会うために奥さんと日本に旅した。

この義父の凄さが殊に表現されているのは、二世代住宅で辻田さんの義母との間で火花が散った時の「終戦処理」の仕方だ。

発端は次だ。

イタリアで生活していたころ、夫の両親と二世代住宅に暮らしていた。もともと彼らの家だったところを半分に分けてふたつのアパートメントにしたので、敷居は低い。ご飯を食べにおいで、息子の好物を作った、孫の顔を見せて、と、しばしばピンポ~ンと鳴るのだが、それが当時のわたしには悩みだった。

(我が家にはイタリア人の親がいないが、いやになるほど想像できる。近くに住む仲の良い小母さんが、そうだった。もちろん相手に悪気はまったくないのだが、こちらからするとしつこいほどにお節介だ。重いーー。)

辻田さんは、お互いの家族生活の間に線を引こうと陰に陽に義母に話すのだが、ほとんど無視されてピンポ~ン。毎度のこととなれば、嫁も耐えきれない。

「このドアからこっちは別世界です。今後は立ち入らないでください」

と、こともあろうに、辻田さんはきつい言葉を姑に放った。当然、むこうの家との関係は不穏になる。

仲が良かった義理の姉、エレナータからも責められた。「扉を閉めるなんて友だちにだってしない」と。泣きそうになった。好きで扉を閉めたわけじゃない。そうせざるを得ないよう追い詰められたんだ。説明しようとしたけど、彼女はぷいっと向こうに行ってしまった。

孤立である。しかも、日々、そうと実感せざるを得ない近距離での絶対的な孤立だ。言うまでもなく想像できるが、辻田さんの夫に状況打開を期待しても「そんな技量はない」(筆者の記述)。

そこで義父の登板である。「ちょっと話そうか」と。二人は近くのカフェに入る。少々長いが、会話をそのまま紹介する。

「このままだとイスラエルとパレスチナだね」
私はため息をつき、
「・・・あやまれ、とおっしゃるんですか?わたしは悪くないです。何度言っても聞いてもらえなかったから、しかたなかったんです。」
「わかってる。妻はああいう性格だしね。でも、争いをおさめるためにはどちらかが折れないと。そういう場合、日本でも、年配者より年下の者から折れるのではないかな?」
「・・・。やっぱり私にあやまれと?」
「あやまれとは言ってない。だけど多少折れて、この場をおさめることはできないかな?そうしないときみは孤立してしまう。それはきみにとって不利益だ。この国で生きていくにあたって、娘(わたしの義理の姉)だって味方につけておいて決して損にならないからね」
「それはそうですけれど―でも、わたしから折れるのはイヤです。たまにはお義母さんから折れてくださってもいいじゃないですか」
「妻にそんなことができるならきみに頼んでないよ。解決のカードを持っているのはきみだけなんだ」
「・・・」

その後、辻田さんは義母に長い手紙を書き、歩み寄りの姿勢を示すことで事態は改善した。

義理の姉を味方につけておくように勧め、妻の性格をよく知る義父の「解決のカードを持っているのはきみだけなんだ」という話のもって行き方は見事だ。

ここを読んで経営者の頭だ、とぼくは感じ取った。経営者はなにも金勘定に長けているだけではなく、その状況に関わる人たちの性格とそれで何をできるかの読みに長けた人のことを指す。大人の判断ができる人である。

息子夫婦が離婚すると決めたとき、義父はそのまま決断を受け入れてくれた。愛してやまない孫娘が遠い日本に行ってしまうことも含め、自分たちの欲が出てしまうところでも踏みとどまる。それだけではない。「ああいう性格」の義母も受け入れてくれたのだ。

前述したように、義父は代々続いた船会社を売却せざるを得ない羽目に陥った。外国の油田開発もてがけるほどに商売は手広かったようだ。

その義父の母親はサンマルコ広場の総督宮殿の並びにある、1階と2階には船会社の本社オフィスがある館の最上階に1人で住んでいた。

優雅な調度品に囲まれ、窓からはサンマルコ湾から外海までが見通せ、我が庭のような湾を行きかう船を「把握」できる。上品な装いに身を包み、お手伝いさんに面倒をみてもらいながら窓際から海を眺め続けていた。

その人の葬式の様子が描写されている。

祖母のお葬式は、一族の所属教会であるサンガッカリア教会でおこなわれた。
おごそかな雰囲気のなか、義父母に並び、ミサを執り行う司祭の言葉に耳を傾けていると、義母がハンカチで涙を拭きながらふと漏らした。
「会社が人手に渡ったこと、おかあさんが最後まで知らなくてよかった・・・」

10数年間、高齢の母親には現実の変化を知らせず、そのままの生活を続けてもらうように義父は心に決めたのだった。

それまで辻田さんはヴェネツィアの自宅や山にある家で義父が夜中、ひとりでカードを遊んでいるのをときたま垣間見ることがあった。テニス、スキー、クラシック音楽のコンサートと活発に活動していた彼が、夜中には別の人生を生きているようにみえた。

事業が立ち行かなくなる。しかし、それを母親には黙っておくとした心の苦しみーあるいは孤独感ーを思うと、妻と嫁の冷戦を終結させるために「解決のカードを持っているのはきみだけなんだ」と語ったときの切実さが、後になってぼくの心に迫ってくる。

この義父は数年前に亡くなり、昨年、辻田さんの元夫もこの世からいなくなる。

しかし、義父の性格や人生をよく理解しようと思い続けてきた辻田さんの近くで、同じ方向を眺めようとしてきた辻田さんのー既に大学を卒業したらしいー娘さん、そして辻田さんの実の父親の存在が、この辻田さんの人生に光を今も提供している。もちろん、ヴェネツィアにいる’味方’の義理のお姉さんも、だ。


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