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クリーンデー

             会社でクリーンでーってのがある。
文字でみるとうっかりグリーンでーかとおもって
ある種の音楽が頭にながれるが
それはおいておいても
ある日の15分だけみんなでお掃除っていう習慣である。
ここにおいて、とある感覚が私を襲った。
学校のお掃除の時間の感覚。
教室の床を一人3往復は吹きなさいとか
ある程度の約束が決まっていたらそれはそれでいいのだ。
だって、それは汚れているとかそうでないとかはさておき
そこを3往復すればよいから。
でも、
そこまで限定されず
とりあえず穴タッチは音楽室の前の廊下担当だからね、
とおしやっれたとき
どこからどこまでふけばいいのか
というのにまよった、
というのはどこがよごれているのか
いまいちわからなかったから。
なのでこのへんをふいておけばいいかなとやっていたら
先生に
「そのへんちょっとやっておわりかよ」
みたいなことをいわれて
さぼるつもりはなかったため
意外に傷ついたみたいなことがあった。
そんなにきれい好きというわけでもないので
きにならないといったらそれまでだけれど
できるだけできることはしたいのに
それが気持ちと
ともなわないという感覚。
野放しにどこでもいいからきれいにしてねといわれて。
やっているところが
実は人がやったあとだと
いやみっぽいし
ちょこっとやったことで自分のやったことにする
すりかえをしているようにおもわれるように感じて
卑屈になっている。
あのころに比べれば
周りは私がみえづらいということを
もっと理解してくれているとは思うけれど
それでも、
なんだかうまくいかないような居心地の悪さはある。
最近は机にマイコロコロをいれておいて帰りのまえには周りをさらっておく。
しらないうちに輪ゴムやクリップを節分のごとくばらまいているから。
みえてないからですませていいわけじゃないもんねぇ。
といいつつ
もとがずぼらなので
ついつい掃除はさぼりがちだ、

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