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素粒子

 ミシェル・ウエルベック『素粒子』を読んだ。

 以下ネタバレを含む感想です。

まさかエピローグになって本編が始まるとは思わなかった。

 少なくとも読者にとってはそうだった。小説的には確かにエピローグなんだけど……。それまでのプロローグ、第一部、第二部、第三部は長大な序章で、エピローグが本編だと感じた。

 僕は最初SF小説だと思って読み始めた。第一部は若い頃の話で青春小説じみていた。第二部では歳をとってからの話で、ヒッピーやら乱交パーティやらで、なんだこいつらっていうかなんだこの小説……となった。SFだと思っていたのにエロ小説だった。そして20世紀後半の人類の文化の変化を描く歴史小説でもあるのかもしれない。第三部では感傷的になって、死の物語。なるほど、主人公たち二人の人生の物語を描いた小説なんだと思った。
 と思ったら、エピローグでいきなり未来の話をし始めて、次のステージに進んだ人類、というか人類の次の種の話が出てきて、われわれってお前だったのかよって、SFが始まって、始まったと思ったら小説は終わった。
 衝撃すぎた。この物語の構成。発想。エピローグに至るまでのそれまでの章はかなり意味があった。やはり意味があった。そしてエピローグからみたら、確かにエピローグはエピローグなのだ。主人公ミシェルにとっては特にそうで、語り手にとってはミシェルとブリュノの人生を描くこと、伝えることが本質であるので、序章などではないことは明らかである。

ジャミラス

 僕はミシェル・ウエルベックという人は、トマス・ピンチョンが現代文学のラスボスだとすると、ドラクエ6でいうところのムドーみたいな存在なんだと読む前は思っていた。トマス・ピンチョンがラスボスかどうは知らんけど。そしてドラクエ6にはダークドレアムという裏ボスがいて、きっとそれはマルセル・プルーストとかそういうのだろうと思う。そんなことはどうでもいい。マルセル・プルーストが現代文学かは知らない。でもダークドレアムも過去の亡霊みたいな存在でしょ。確か。違うか。
 そして読んでいてもやはりムドーだと思ったのだ。エピローグを読むまでは。エピローグを読んで僕は、違う、ムドーじゃない、ジャミラスだ、と思った。そんな立ち位置の作家だ。何を言っているのかよくわからない? 僕もよくわからないけどそういうふうに思ったのだ。

問いストーリー/私は解になりたい

 ところで、この小説には、実在の人物とか実際の出来事が数多く出てきて、これは実話なのかなと錯覚を誘う。そして生と死とかいう普遍のテーマであることに冷静に考えて気がつく。描き方が天才のそれであるだけで。生殖を伴わない性的活動とそれによる社会問題やモラルの崩壊など、現代社会に投げかける問いを含むことでよりリアルに感じ始める。現代を描いたまさしく現代文学なんだと思っていたら、エピローグでさらに先へ、ひとつの解を提示しているように思えた。でもその解は未来への警鐘で危うさも感じてしまう。それは20世紀に人類が歩んだ歴史がもたらした結果であるとこの小説は言っているのだろう。
 しかし、あくまでこれは小説であるしフィクションなのだから恐れることはない。関係なく人類も文化も変化していくのだから。人類の進化や技術の進歩にフィクションがどれほどの影響を及ぼしているのかはよくわからない。今日もまた面白い小説が読めたらそれでいいじゃないか。

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