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思うこと

 twitterにも書いたけど、鷺沢萠『帰れぬ人びと』を読んだ。

 以前から読みたかった天才のデビュー作を含む短編集。その感想やらなんやら。

第一部

『川べりの道』
 これがデビュー作。十八ぐらいの少女が書く文章じゃない。こんな文章が書きたい。そう思う。その圧倒的な才能に世間は皆嫉妬した。でも解説に書いてあるように、十代の終わりの大人になる前の老成した感覚(そんなものあったか?)をもって描かれている。大人びているを通り越して背伸びしすぎている。こわい。恐怖はなかったのだろうか。そんな人間になってしまったことに。逆に、その感覚を描き出してしまえる才能があってしまったために、なんだかわからずに戸惑い苦しむことがなかったのかもしれない。
 作品の中身は川小説で、姉小説で、俺歓喜って感じだった。十五歳の少年だったときに僕は同じに川べりの道を歩いて同じように思っただろうか。そんな感性をもっていてもたぶん気づけなかったはずで、言葉にできないもどかしさすら存在しない時代だったはずだ。少なくとも、僕が十五歳の少年を主人公にしてもこんな物語は書けない。

『かもめ家物語』
 ボーイミーツガールと言えば聞こえはいいが、そんなに単純ではない。爽やかな出会いかもしれない。でも……。その「……」の物語。自分にも彼女にも物語があって、時には語らないほうがいいこともある。主人公が任されているお店に来る人々にも物語がある。それぞれの人生は重ならないように見えて、どこかで交わったり影響しあっていたりする。「ま、いいか」「なにが?」「なんでもない」と二十歳の頃の僕は思える人間だっただろうか。そう思えてもそう思える自分に気付けただろうか。

『朽ちる町』
 変わっていく町。変わってしまった町。変わらないもの。東京の下町に流れるそういった郷愁に似た寂しさを描く。町の匂いを主人公以外は気づけなくて、主人公が余所者なことを感じさせる。そんな町にも人々が生きていて、かつては川が流れていて、生活がある。その一部である子どもたちにかつての自分を重ねる主人公。かつて流れていた川も今ではなくなって、遊郭もなくなって、時代の移りゆくさまを描く。引っ越しを繰り返す主人公には帰る場所がない。変わっていく町とともに生きていくということがない。そういうものに憧れているのだろう。時代が変わっていくのは寂しいけど、それを知っているのは喜びかもしれない。

『帰れぬ人びと』
 こんな事を言うと失礼かもしれないけど、二十歳でこんな小説を書いてしまう人なのだから三十五歳で自殺しても驚かない。そしてここにも帰る場所が、故郷がない人びとがいる。自分の人生を捨てて金持ちに嫁ぐ姉。こんなはずじゃなかったという言葉は、母親だけじゃなく、この小説の誰にも当てはまる言葉で、人生って難しいねって思うよね。ここでも変わっていく町が描かれて、昔漁師町だったとか駅が工事でリニューアルするとか、帰れぬ人びとというのは、その時代に戻れない悲しみを指しているのかもしれない。あの頃は良かった。あのままが良かった。こんなはずじゃなかった。僕もそうだ。

 本全体として思うことは、使っている言葉は平易なのに鮮やかに街の情景も人の心も描き出すのは心地よいということ。電車の描写が多い気がして、東京の人間だからそれはしかたないような気もするけど、電車のことを書くことで、その町を描きだすことにつながっているような気もする。帰る場所がないならさまようしかない。東京という町は、大都会も下町も高級住宅街も風俗街も、鉄道で繋がっているのだから、さまよいやすいのかもしれない。そんな町じゃなかったらさまようこともなかったのかもしれないけれど。でもそれならこんな名作は生まれなかった。そして悲しくても、こんなはずじゃなかった、としても、小説の中に帰る場所はあってこれからも私達は本を読むのだろう。そんな人間になってしまうはずじゃなかったなんて思わないよ。名作を読めることは無上の喜びなのだから。

(第一部 完)

INTERMISSION

 さま~ざまな人生を~うんたらかんたら~♪

第二部

 そんなことより、講談社文芸文庫は高すぎるという話。
 今回僕はこの名作を講談社文芸文庫で読んだ。これなら新刊で売っているからだ。手に入りやすい。機会的な意味で。しかし、値段的な意味で手に入れにくい。なんでこの厚さで、1,700円(税抜)なんだ。250ページぐらいなのに。どんな事情があるか知らないけど。どんな事情があるか知らないけど!(機動戦士Ζガンダム 13話参照)

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 見てください! この、鉄鼠の檻の厚さを。同じ講談社なのに、この厚さで1,362円(税抜)なんですよ。1360ページもあるのに。帰れぬ人びとの5倍以上のページ数なのに、値段は0.8倍。どういうことなの……。そして、

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 見てください! この、講談社ノベルス。高いと言われる気がするノベルスで同じ1,700円(税抜)でもこの厚さ。580ページ。しかもノベルスは二段組だから文字はいっぱい。これが同じ値段なのだ。

 そりゃあ、色んな事情があるだろう。紙質がいいとか、表紙の金色のつけるのにコストがかかるとか。予算がどうとか需要がどうとかもあるのかもしれない。利益は関係なく赤字になっても、高級感を出したかったのかもしれない。この厚さで1,700円じゃあ書店も積むわけには行かないし、積んで売れるとは全然思えないし。講談社文芸文庫創刊の理念みたいのがあって、敷居を高く設定しているのかもしれないけど、やっぱり高いよね。文庫本でこの値段は。

 そして僕が言いたいのは、この値段じゃあ、これから文学に触れる若い人びとが手に取れないということだ。あの有名な名作を読みたい、でも講談社文芸文庫でしか売っていない。高校生だったら躊躇する。この値段。文芸文庫と名乗っているのに、文芸の世界に触れようとする十代に不親切すぎる。これこそが文芸だぜとお高くとまっているのかもしれない。若い人はターゲットにしていないかもしれない。でもこのレーベルでしか新刊で買えないものもあるはずだ。違うレーベルで昔出てたけど絶版になってしまって、古本屋を探し回っても見つけられない本だってあるはずだ。そんなときに、名作が埋もれてしまわぬように、このレーベルは創刊されたんじゃないのかと勝手に思っているが、実際のところはどういうつもりなんだろう。なんというか、もったいないと思ってしまいます。若い頃に、お金がなくて躊躇して手に取れなかった作品に、大人になってから触れて、もっと若い頃に読んでいたら、もっと違う人生もあったはずだ。そう思うこともあるはずだ。そして文学にはそういう力があるはずだ。僕はそう信じている。そんな大それたことじゃなくてもいい。面白かった、充実した時間だった。それだけでいい。それだけでいいはずなのに、この値段設定で躊躇してしまうのは悲しい。そりゃあまあ、色んな事情があるんだろうけれども。いろいろと仕方がないんだろうけど、そして高いのが悪とは思わないけど、もう少し手に取りやすい価格になってほしいものである。

 でも講談社文芸文庫のラインアップはすごいよ。絶版だったあの名作とか、コアな作家のコアなファンしか読まないんじゃないかみたいなのもあるらしいし、コアな作家のコアなファンは実在する。値段なんか関係ねぇって輩だ。僕もそういう作家に出会いたいし、講談社文芸文庫が部屋の本棚に並んでいるのを見て一人悦に浸りたい。うふふ。これからも素敵な本をいっぱい出版してくださいね。できたら1,500円ぐらいで。

(第二部 完)

(kindle版だと、時々セールしてるから安く買える。でも講談社文芸文庫を本棚に並べたいよね)

 終

もっと本が読みたい。