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本質と現象



物事には「本質」と「現象」があって、それはいつも同じもの。
例えば「ひまわり」というものを本質と現象に分けると、「ひまわりの種」と「ひまわりの花」に分けられる。でもそのどちらも「ひまわり」だ🌻🌻

それと同じように人間にも「本質側の人間」と「現象側の人間」がいる。

例えば「真似」と「再現」あるいは「指摘」と「論破」など。
「ひまわり」を現象側が真似をしたいなら「ひまわりの絵」を書いたり「ひまわりっぽい物」を作ることになる。
「ひまわり」を本質側が再現したいなら「ひまわりの種」を蒔く事になる。

指摘と論破も同じ原理だ。

「それって違いますよね?」という一言は、現象側が言えばそれは「論破」になるが、本質側が言えばそれは「指摘」になる。

今の日本、誰かが言った言葉だけを捉えて「お前もそうじゃないか」だの「自分もできてないじゃん」だのと誹謗中傷の類を繰り返しすぎていやしないだろうか??
それはひとえに、この国には現象がたくさん起きているからだ。

つまり「真似」だ。

今の日本は「真似事」に溢れている。どこを見渡しても真似事ばかりだ。そしてそれを肯定する意見にも溢れている。

その結果、現象側の「論破」が増産されているわけだ。

別にこれは、本質と現象どっちが良いとか悪いとかっていう話では全然なくって、それらはどちらも大事だし、どちらも必要だ。

言いたいのはそんなことではなく「割合がおかしい」ということだ。

物事も割合はほとんどが7:3になり、現象側は7割いて当然。本質側は3割いて当然。これで成り立つ。でも今の超情報社会に、本質側の人がどれくらいいるだろう?????ほとんど見かけない気がする。

その原因はたった一つ。
これは憶測の域を出ないが、つまり「諦めている」からだ。

「どうせ世界ってそうでしょ?」「どうせ人間ってそんなもんでしょ」「どうせ日本なんてその程度でしょ?」

そうやって「諦めている」からだ。

つまり僕が言いたいのはこうだ。

「眠れる獅子よ、声を上げろ」

creatorsメルマガより抜粋📩

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