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OSHO インド 第三の名前

1980年代、日本ではほとんど報道されませんでしたがOSHO =バグワン・シュリ・ラジニーシは、『スピリチュアルテロリスト』と呼ばれ、世界中の宗教、思想、政治の指導者の欺瞞を暴き批判し注目を集めていました。

日本でもシルクロードの音楽で有名な喜多郎や、「花」「ハイサイおじさん」などの曲で有名な喜納昌吉などのミュージャンがOSHO の弟子=サニヤシンであることを公言していたため、ミュージャンやアーティストにOSHO の支持者が多かった印象があります。

ですが95年のオウム真理教の事件当時、『似た事例』としてOSHO のアメリカでの逮捕劇が報道され、評判は決してよろしくありませんでした。

私とOSHO との出会いはちょうどその頃、当時付き合ってた彼女から

「ボディワークの才能あるよ!ぜったい習ったほうがいいよ!」

と言われ、日本各地を巡る旅から帰ってきて何もやることが無かったので、

「いっちょボディワークの勉強でもしてみようかな」

と思ったのがきっかけです。

『ボディワーク』という言葉はあまり一般的では無いかも知れませんが、整体やマッサージ等の総称と理解しておけばいいと思います。

そこで先ずは色々調べてみようと、専門誌を買って読みはじめ、そこで目に留まったのが私の最初のボデイワークの師となるコンシャスタッチの創始者アヌブッタの記事でした。

その記事には彼はOSHO の専属のボディワーカーとして、死ぬ間際のOSHO の身体に施術していたことや、彼が感銘を受けたOSHO の言葉として

「病人に最も必要なのは薬や医者ではなく、愛情だ」

と書いてありました。

記事の末尾に彼が創始したボディワークの施術者養成コースの合宿が開催されると書いてあり、私はさっそく申し込むことにしました。
私もOSHO のその言葉に感銘を受けたのです。

伊豆で開催された合宿は、素晴らしい体験でした。
そこで初めて私はOSHO の瞑想も体験しました。
参加者の中には他のボディワークの一流の先生も何名かいて、中でもアレクサンダーテクニックというボディワークの日本の第一人者、片桐ユズルさんは素晴らしかった。

何より良かったのは合宿の共同生活の中で気さくなアヌブッタと兄弟のように仲良くなり、

「僕は今年の秋にインドのOSHO コミューンに行って数ヵ月滞在する。君も行かないか?コミューンには僕以外にもたくさんのボデイワークのいい先生がいるからそこで学べば君は一流のボディワーカーになれる」

と言ってくれたことです。

そろそろ、また日本を離れたくなっていたし、秋まではあと半年あったので充分お金を貯める期間もある。

私は行く気になっていたのですが、私がOSHO とその団体に惹かれていくことにまわりの何人かの友人たちは(オウム真理教の事件の後だったので)心配しはじめていました。

アメリカ人の友人ダンカンなどは苦手な日本語でわざわざ伝えにきてくれました。

「ワタシノ、故郷オレゴンデ、カレラハ警察ニカクレテ武器ヲ持ッテタ!タクサン銃ヲ!カレラハ危険ダヨ!」

オレゴンにOSHOのコミューンがあったとき、確かにそういう事件が有りました。
しかし、それを画策したのはOSHO のコミューンの実権を握っていた秘書のシーラという女性だったこと。
警察に連絡してコミューンを武装解除することを命じたのはOSHO 自身だったことが分かっています。

しかし当時の私はその事を知らなかったので、このダンカンの言葉には心が揺れました。

何を信じたら良いのか?

そんな折、日本のサニヤシングループから、OSHO の第一秘書として最後まで仕えたアナンドという女性が来日するという連絡が届きました。

私は彼女に会って見極めようと思いました。

アナンドが来日してウェルカムパーティーが開かれるというので私も出席しました。
はじめて見るアナンドという女性は、月の女神ディアナの彫刻のような美しさと落ち着き、聡明な感じの人でした。
ウェルカムパーティーでは通訳を通してアナンドがOSHO とのエピソードを面白おかしく話して会場はおおいに沸いてました。

やがて、何かアナンドに質問はありますか?と通訳の人が会場の人達に向かって話したので私は手をあげて、アナンドに向かって話しました。

「私は今迷ってます。私のオレゴン出身の友達は、あなた方はとても危険な集団だと言います。それに、最近この国で起こった事件の事を知ってますよね?私の友人たちはあなた方をあの教団と同じように見てます。あなた方が安全で平和な人達だという保証はありますか?」

会場が一瞬シンとなりましたが次のアナンドの一言で爆笑の渦に包まれました!

「あなたの友達の言うとおり!私たちはとっても危険な集団よ!」

ポカンとする私。

「私たちに加わったらあなたは今までのあなたではいられなくなる。あなたはバラバラにされて生まれ変わるわ。それがサニヤシンになるということよ」

質問タイムはこれでお開きとなり、立食パーティーに移りました。
帰り際、私はアナンドに質問のお礼を告げに行くと、アナンドはニッコリ笑って

「待ってるわ」

と言いました。

私の心は決まりました。。。。。

数ヵ月後、私はインドのOSHO コミューンにいました。

ボディワークの勉強のため、そしてサニヤシンになるために。

テイクサニアス=サニヤシンになる儀式は、OSHO コミューンの中にあるブッダホールで夜行われました。

巨大な蚊帳で覆われたブッダホールの中に入ると音楽が鳴り響き、何十人ものサニヤシンが今夜新たに加わる仲間を祝福するために集まっていました。

事前の話では、ミディアムと呼ばれるOSHO のエネルギーを降ろし仲介する人が私にエネルギーを注ぎ込みサニヤシンとなるということでした。

まわりの先輩サニヤシンに促され、人垣の輪の中心に進み出ると、そこに待っていたのは。。。。

アナンドでした。

私の事を覚えていたのかいないのか、私の顔を見るとニッコリと微笑んでくれました。

心の中で

「来たよ」

と言って彼女の前に座り目を閉じました。

彼女の指が私の第三の目、眉間に触れるのが感じられ、そして真っ白い光が注ぎ込まれるように感じました。
目が眩むのと、奔流のような勢いに後ろに倒れるとサニヤシン達が優しく支えてくれました。

目を開けると、アナンドが私の首にマラ=サニヤシンの証しをかけ、1枚の紙を手渡し指差しながらユックリと話しました。

「あなたの名前は、

スワミ ボーディ アヌグラハ

ボーディの意味は意識すること。
アヌグラハは感謝です」

ボンヤリとアナンドの声をききながら、
あぁまた新しい名前をもらっちゃったなぁ。。。。
と思いました。

こうして私は本名以外の、3つ目の名前を手に入れたのです。

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