"SPARKLEHORSE"の事。
音楽業界の悪しき慣習だったり、メジャー・レーベルの売上至上主義だったり、音楽メディアがでっち上げたムーヴメントなんかの犠牲になって、失墜したり活動出来なくなったりというアーティストを数々見てきたけど、自らピリオドを打ってしまった人だって多数いる。個々に色んな事情や心情があるんだろうけど、大好きだったアーティストとの突然の別れは、かなりダメージが大きい。このSparklehorseなんて特にそう。彼の作品に触れる度に、切なくなるのです。10年以上経った現在でも...。
Sparklehorseは、一応バンドという体を取っていますが、殆どMark Linkousのひとりユニットでした。アメリカはバージニア州リッチモンド出身のMark Linkousは、1980年代にカントリー寄りのサイケデリック・バンド、Dancing Hoodsに在籍していました。成功を夢見てニューヨークに渡り、インディから1枚、メジャーのSony Music傘下のレーベル、Relativity Records(多分当時はCombat Records)から2枚のアルバムをリリースしています。3作目のアルバム”Hallelujah Anyway”は、日本発売こそ無かったものの、CROSSBEAT紙に取り上げられていたのを見て、輸入盤で買った記憶が。アコースティックな楽曲が印象的なカントリー寄りのサイケデリック・ロックを聴かせるバンドで、MTVにも出演していた気がしますが、当然、Markが在籍していたのを知ったのはだいぶ後の話です。バンドは成功を収めることは出来ずに解散し、Markはリッチモンドに帰っています。これが1989年頃の事で、その後の5年余りで曲を書き溜めてたみたい。元Camper Van BeethovenのDavid Loweryが結成したバンド、Crackerの1993年のアルバム"Kerosene Hat"に収録された”Sick Of Goodbyes”はDavidとMarkの共作で、後にSparklehorse名義で再録されて1998年のアルバム"Good Morning Spider"に収録、シングルとしてもリリースされています。このレコーディングにはDavidも参加しています。両方を聴き比べると、ダイナミックなサウンドに仕上げたCrackerに対して、Sparklehorseのヴァージョンは、PVではおどけたキャラクターを出していたけれど、サウンドの方はえらく内省的だった。DavidとMarkは、各々の他の楽曲でも共演していて親交があったが、音楽スタイルはえらく違ったものなのだなあと感じました。
1995年にはシングル"Spirit Ditch”と”Hammering The Cramps"の2枚をRykodisc傘下の"Slow River Records"からリリースしてSparklehorseとして正式にデビューしています。余談ですが、聞いたことあるレーベルだな?と思ったら、Richard BucknerやFuture Bible Heroes(The Magnetic Fieldsの別ユニット)等をリリースしていたレーベルでした。あまり関連性は無さそうかな。まもなくメジャーのCapitol Recordsと契約し、この2枚のシングルを含むデビュー・アルバム”Vivadixiesubmarinetransmissionplot”を同年にリリースしています。動物学者である妻と共に田舎の農場で暮らしながら、殆どの楽器を自分で演奏して制作したという作品で、このタイトルでこのジャケット、分裂症になりそうな程の膨大な曲数と多彩なサウンド・スタイルは、他に類を見ない個性的なモノで、ロウ・ファイな手作り感に溢れながら、ダイナミックに爆発するエモーショナルなサウンドと内省的なアコースティック・サウンドが共存した、とてつもない傑作となっており、天才と奇才が表裏一体となった驚異のアルバムです。なんと、この作品は日本未発売という体たらくでした。
翌1996年には、彼のサウンドを気に入ったRadioheadのオープニング・アクトとしてヨーロッパをツアーしますが、その最中に、アルコールと薬物の摂取によりオーバードーズを起こし、命の危険があったものの、長い入院と治療により回復した様です。翌1997年にセカンド・アルバム”Good Morning Spider”をリリースしています。前出のDavid Lowery含む少しのゲスト・ミュージシャンは参加していますが、前作同様に農場でのセルフ・レコーディングが中心で、ほとんどの楽器をひとりで演奏したというこの作品は、ひどく内省的なものではありましたが、彼特有のユーモアや突飛もない展開やヘンテコな歌詞の世界に、何故だか妙に安心した記憶があります。今作収録の曲”St. Mary”は、入院していた英国ロンドンのパディントンにある病院の名前で、この病院の看護師たちに捧げられています。
2001年には3作目のアルバム"It's a Wonderful Life"をリリースしています。前作とは全く異なる環境で制作された作品で、エンジニアも務めるDave Fridmann、CardigansのNina Persson、PJ Harveyなどが参加、そしてMarkが敬愛して止まないというTom Waitsとの共演を果たしています。Tomに敬意を表したのか、全体的にダウン・テンポなしっとりとしたサウンドで、女性ヴォーカリストをフィーチャーした曲では暖かくゆったりとした楽曲が並ぶ、彼のキャリアとしては異質な作品ではありますが、時折、彼らしい一筋縄ではいかない実験的で突飛な展開や音像に揺さぶられる作品です。
2006年には、Danger Mouseとのコラボレーションによる4作目のアルバム"Dreamt for Light Years in the Belly of a Mountain"をリリースしています。前作の路線を更に推し進め、優しさと美しさが頂点に達した作品です。この長いタイトルとジャケットの懐かしいお遊びは、Danger MouseからMarkへのリスペクトを感じずにはいられません。
Danger Mouseとのコラボレーションはこの後も続き、2009年には、Danger Mouse And Sparklehorseとしてのプロジェクト"Dark Night Of The Soul"が企画されます。アート・ワークと2曲の作曲をDavid Lynchが担当、Danger MouseとMarkがプロデュースを担当、The Flaming Lips、Super Fury AnimalsのGruff Rhys、 GrandaddyのJason Lytle、StrokesのJulian Casablancas、PixiesのBlack Francis、Iggy Pop、Suzanne Vega、Vic Chesnutt、Danger Mouthとのプロジェクト・ユニットBroken Bellsでも知られるThe ShinsのJames Mercerといった面々が作曲するという夢の様な共演でしたが、これを所属レーベルのCapitol Recordsは発売しない意向だった。これに抗議したDanger Mouseは、ジャケットに空のCD-Rを付けるなどの様々な形態で自主リリースしたが、状況は変わらなかった。これがどんなダメージだったのか...。同じ年には電子環境実験音楽のChristian Fenneszとのコラボレーション作"In the Fishtank 15"を発表、ヨーロッパツアーを行いました。
そして忘れもしない2010年3月6日、Markは自ら命を絶っています。47歳の早すぎる死でした。彼が作り出した名曲の数々は、永遠に残ることになりますが、それらに触れる度に、この悲劇を思い出してしまう。そして、悔やまれる事に、彼の死後になってからDanger Mouse And Sparklehorseの"Dark Night Of The Soul"をリリースするという暴挙。これが直接的な原因かどうかは今となっては闇の中ですが、やっぱメジャー・レーベルのやり方って...。
今回は、デビュー・アルバムに収録された、Mark Linkousが絞り出した精一杯のエモーションが爆発するこの名曲を。
"Someday I Will Treat You Good" / Sparklehorse
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