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"MISSING FOUNDATION"の事。

Peter Missingが率いる団体だから”Missing Foundation”。1980年代中盤、世界中を放浪していたPeterのアナーキックな思想の元に集まったメンバーにより、1984年にドイツで結成されています。初期メンバーとしてKMFDMのSaschaとEn Eschが在籍しており、この頃のパフォーマンスは、後に「Missing Foundation / KMFDM – Hamburg 1984」として音源化されています。米国ニューヨークに戻ったPeterは、再びメンバーを集めて活動を開始、Of Cabbages & KingsやBarkmarket、Rat At Rat Rを擁するニューヨークきっての過激派レーベル" Purge/Sound League"と契約しています。手始めに、マティーニ・グラスを逆にした"パーティは終わった"を意味するシンボル・マークをニューヨーク随所の壁にスプレー・ペイントして回りました。

[Misiing Foundationのシンボル・マーク]

ライヴ・ハウスでは火器を使用して出禁に、路上パフォーマンスでは暴動を引き起こし、遂にはメンバーが逮捕されるなど、彼らのアナーキックな活動はエスカレートしていきます。ほとんどマトモな楽器を使用せず、本物のガラクタを打楽器とした雑音と、過激にアジテートする狂気のヴォイスによるジャンクなサウンドと、政治色の強い姿勢で取り巻きを熱狂させる一方、一般人を恐怖に落とし入れました。メタリックなジャンク・ノイズによる文字通りのインダストリアルなサウンドは、時にThrobbing GristleやEinsturzende Neubautenなどと比較され、一部のシンパに熱狂的に支持されました。

[1933 Your House Is Mine](1988)

1987年に1枚目のアルバム「Missing Foundation」、1988年に「1933 Your House Is Mine」を"Purge/Sound League"からリリース、路上でのパフォーマンスをそのまま詰め込んだような凄まじい崩れ去る音塊と、すでに何を言っているか分からないレベルに歪みまくったアジテーション・ヴォイスが響き渡る、”音で楽しい”の極北をいくものでした。1989年の「Demise」は、自主レーベルの"Humanity Records"からリリース。益々過激になる活動の一方、ホームレスや生活困窮者を救済するために積極的に運動を続けるなど、社会的な姿勢はホンモノでした。

1990年の4作目「Ignore the White Culture」と1992年の5作目「Go into Exile」は、Enigma傘下のRestless Recordsから奇跡的にリリースされますが、狂暴なサウンドと暴力的な思想で破壊、解体、終末を叫び続ける彼らのエネルギーは衰えず、Restless Recordsがメジャーに買収されると同時に契約を失い、以後は自身のレーベルから、Missing Foundationに加えMissing Seven Hazardやソロ名義での作品をリリースし続け、多少のサウンド的な変化はありつつも、現在も破壊を続けています。そのエネルギーの源がどこにあるのか、最終目的がどこにあるのかは不明ですが、社会に強烈で深い深い爪痕を残し続けています。

[Demise](1989)

今回は、3作目のアルバム「Demise」に収録された、殺伐とした終末世界を具現化したかのような代表曲を

“A Hunting We Will Go” / Missing Foundation

#忘れられちゃったっぽい名曲

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