あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #4


#4 塾に来なくなった生徒のこと


いきなり特技じまんになるけれど、わたし、人より待つのが得意。好き、といってもいい。

電車を待つときものんびりしたものだし、二、三時間の遅刻ならだいたい笑って迎えられる。頼んだグラタンがなかなか出てこないのも、高速バスの中に半日いるのも平気だ。

これは、暇をつぶすのが好きゆえの特技だと思う。街中でも本は読めるし、詩も書けるし、ラインも受け取れるし、考えごともできる。どうせ普段からわたしのやりたいことはそれでほとんどだから、「この時間があればアレもコレもできた……」なんていらいらせずに済む。

それから、「わたしいま、待っている」という状態そのものも、よい。
常に「なにかしなくては」と急いているぶん、その状態がかえって落ちつく。「待っている人」である以上、その上何をしてもしなくても、そこにいる意味があるような気がして、気やすく道なんか眺めていられるのだ。
待っているとき、わたしはやってくるものを迎えるだけでいい。そのことの、水にぽかーんと浮かんでいるうちに眠たくなるような快感。

でも、いつでもそんなふうに気楽に構えていられるわけでもない。

たとえば、わたしはある友だちとの待ち合わせがうまくできない。
彼は遅刻グセがあって、それだけならいいのだが、稀にそのまま姿を現さないことがある。それを待つ、ということは、バスのダイヤを眺めているのとは違う。
「今日もひょっとしたらこのまま来ないのかも」と思った瞬間、悠々と構えていたわたしはどこへやらで、急に不安になりはじめる。本を読むとか、音楽を聴くとか、どのみちやりたいことをしていたはずなのに、彼が来ないならばこの時間はすべて空費である気がしてくる。ほとんどの場合、ちょうどそう思い始めたころに本人が「携帯の充電切れてた」などといいながら現れるのだけど。

来ないかもしれないものを待つ、ことが苦手だ。そのとき身体を横たえなければいけない場所は、あたたかなプールから暗闇に変わる。いつでもやってくるものを迎えるだけでいたいのに、それが訪れなかったとき、わたしの「待つ」が急に突き放される。そして、手もとに大きな空白だけが残る。


大学二年のとき、はじめてアルバイトした塾で、一週間に一度そういう思いをしつづける数ヶ月を過ごした。

そこは、不登校だったり高校を中退していたりする生徒や、高卒で就職したけれどもう一度大学を目指したい生徒を専門とする塾だった。全授業が個別授業で、生徒を受け持つ前には心のケアに関するガイダンスも受けた。

わたしが担当したひとりの生徒が塾へまったく来なくなったのは、三、四回目の授業からだった。

彼女が不登校状態にあることは、あらかじめ聞いていた。望んでその塾でアルバイトをはじめたものの、わたしは緊張していたと思う。
「問題を抱えた生徒」(支援まわりの人がこの言い方をよくする)と接するためのマニュアルはあったけれど、それを遵守するのも、かといって「フラットに接そう」と心がけるのも、どちらにも違和感があった。「問題を抱えたあなたとフラットに接しようとしているよ!」という態度を表明されたとき押し寄せるかなしみを、わたしはよく知っていた。

なんにせよ本人を前にせずに決められることはすべて手抜きかウソだ、腹をくくろう……と思っては、いや、「腹をくくる」なんて思いたくない、とためらう、そのくり返しが終わらないまま、わたしは最初の数回の授業をこなした。まだそのときではないような気がして、とくに彼女のことは聞かなかった。英文法の勉強の仕方と、いまからでも受験には間に合う、大丈夫ですよ、という話をした。それだけだったと思う。

彼女が塾に来なくなってから、その数回のことを何回頭のなかでくり返したか、わからない。

だいたい、当日、授業が始まる六時を過ぎてから欠席の電話が来る。
授業の少し前に出勤し、ひとりで六時を迎え、やがてお母さんから電話がかかってくるまでのあいだ、わたしはただ座って待っている。電話の文句は決まってこうだ。

「すみません、急に具合が悪くなってしまって……」

教務の先生が苦々しい顔でそれを伝えにきて、わたしは粛々と荷物をまとめ、電車に乗って帰る。毎週それをくり返した。電話がかかってくるまで、一時間以上待っていることもあった。

待っている間、わたしはほとんどぼんやりしていたと思う。他の生徒や先生が玄関をくぐるたび、顔をあげ、またうつむいた。教務の先生に「待っている間どうしたらいいですか」と訊ねたら、「パズドラでもしててください」と言われた。

来ないかもしれないものを待つどころではない、その子が来ないことは、毎週ほとんどわかりきっていたと言っていい。でも、欠席の連絡が来ていない以上、わたしは行かなければいけなかった。

想像に過ぎないけれど、欠席を伝える電話がいつも当日六時過ぎにかかってくる理由が、わたしにはなんとなくわかるような気がした。いつか、塾に行かなければいけない日が来る。そして、電話をかけてしまえば、その時点でその日がまた遠ざかる。
具合を崩して(あるいは他の理由で)、当日になって「今日も休む」と決めるとき、その子は毎週毎週、どんな気分でいただろう。

塾の掛け時計が六時をまわるたび、いま、わたしと彼女に流れている時間は同じだ、と思った。


ときどき、自分にできることはもはや尽き、あとはもう待つしかない、という状況に行き当たることがある。

急に電車が止まったときの、あの感じ。刻一刻と遅刻が確定していくけれど、立ち尽くすしかない。好きな人からの返信は来ないし、採用通知も来ない。生徒をセンター試験に送り出す夜、すさまじく喉が渇く。雨が止まないかぎり、洗濯物は溜まっていくばかりだ。

わたしはときどき、突然身体の接続が切れたように何もできなくなる。
頭で考えたことが手まで渡らないし、感じたことも頭まで染みていかない。指の間からすべてがこぼれ落ちていって、自分を責めるだけで一日が終わる。
そうなると、もう、待つしかない。なにがあれば元に戻れるのかわからないから、映画を見たり、人と会ったり、いろいろ試してはみるけれど、その実、どこかへ出かけてしまった自分の呼吸がいつか戻って来るのを、もしくはそれを連れてきてくれるなにかを待っているだけだ。なんとか暇つぶしをしながら、生き延びるだけ。

あのとき、彼女もそうだったんじゃないか、あのときわたしたちは同じように何かを待っていたんじゃないか、と思うのは、わたしの勝手な感傷かもしれない。


「その日」は、急にやってきて、その子はあるとき唐突に塾に現れた。時間通りだった。
姿が見えたときに、あっ、と思ったくらいで、あとは当たり前のように「ちょっと久しぶりだね、元気だった?」なんて言いながら授業ブースに入り、英語の授業をした。過剰に喜ばないように気をつけてはいたけれど、特に平静を装っていたわけでもなく、いつか来ることがあらかじめわかっていたような感覚だった。

質問を受けているとき、その子がぽつりと、

「前にも同じこと聞いてたらすみません」と言った。

「大丈夫大丈夫、何回同じこと聞かれても教えますよ」

と答えたら、しばらく間があいて、見ると、その子は泣いていた。そして、すぐに泣きやみ、「本当にすみません。ありがとうございます」と頭をさげた。
わたしは突如あらわれた契機らしきものにおののき、とにかく、軽い気持ちで答えた自分の言葉を本当にしなければ、と焦った。この子が合格するまで、わたしは何回同じことを聞かれても絶対に答える、答えるぞ、とひとりで誓いまくった。

その日、万感の思いを込めて「また来週ね!」と言って別れ、それきり、その子が塾へ戻ることはなかった。これまでと変わらない、六時過ぎに電話が来る日をそこから三回ほど経由して、そのまま彼女は退塾してしまった。

「また来週」が訪れなかった日、わたしの手のひらに残された空白がどれほど広かったか、わかってもらえるだろうか。


待つしかない夜が襲ってくるときいつも、このまま元のリズムや、能力や、幸せを感じる器官が失われたままだったらどうしよう、と怖くなる。まわりからは一過性に見えるかもしれないけれど、本が読めなくなって、人と話したくなくなって、持っているものがひとつずつこぼれ落ちていく中で、どんどん大丈夫なわたしが小さく遠ざかるような気がするのだ。
そして、どうにかそこから立ち直れたとしても、それが永遠に続かないこともどこかでわかっている。やっと抜け出した暗いところに、また容易に戻ってきたりする。
だから結局、いやだなあと思いながらも、何度も同じものを待つはめになる。

その生徒にとってもおそらく同じだった。つまり、「その日」が訪れてそれで終わり、なわけがなかったのだ。

彼女と、何度もばらばらに過ごさなければいけなかったたくさんの六時が、わたしにとっては「待つ」ことそのものだった。
もしできるなら、来るかわからない救い、みたいなものを、晴れやバスや朝を待つように待ってみたい、と思う。水に身体をあずけるように、しなやかに、落ちついて。必ず来るものを待つように、来ないかもしれないものを待ってみたい。

ときどき約束をすっぽかす友だちと待ち合わせるのはやっぱり得意じゃないけれど、きらいじゃない。彼を待っている時間は、わたしにとって「彼を信じないことにする」という選択肢を選ばずに済んでいる時間なのだ。信じる、というほどたいしたことではない。ただ、ギリギリ選ばずに済んでいるだけ。

いま、彼女はどうしているだろう。

これからもしひとつ乗り越えても、また新たに苦しむかもしれない、でも、それもまた乗り越えられるだろうこと。そう信じるのは難しいから、信じない、という選択肢を、ギリギリ選ばずにいてほしい。
あなたの待つしかない夜が、できるだけおだやかに、あかるくあるように。

                               (向坂くじら)

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