あなたになれない わたしと、わたしになれない あなたのこと #24


#24 .あとがき

さいきん、接骨院に通いはじめた。
わたしはいまひとつ自分の身体に明るくない。本ばかり読んで育ったせいかひどい猫背だし、まず「身体がイメージどおりに動く」という経験がほとんどない。たまに自分が映っている動画や写真を見ると、あまりに思想なき動作や立ち姿にぎょっとする。
まあ、読んで書くだけならたまにぎょっとするくらい別にいいのだが、詩の朗読で舞台に立つようになって三年経つ。人目にふれるし、勝ち負けがつくこともあるし、そろそろまじめにじぶんの身体と向きあうか、というところで、信頼する知りあいが接骨院を開業したので、のこのこ診てもらいに行ったのだった。
「問題のある部分を治療する」コースだと聞いていたのに、けっきょく身体のほぼ全部位に修正が加えられた。知りあいは明るい人で、各部位にふれるたびにいちいち「論外」「あー論外」「論外だねー」と笑いながら治療をすませる。論外かあと思っていると、最後にこういわれた。

「くじらちゃんね、そんなにがんばって背中を背負わなくてもいいよ」

それはわたしの猫背のことをいっているらしかった。

「リュックじゃないから、がんばって背負わなくても、肩甲骨はべつに落ちたりしないから。ただまっすぐ下に下ろしておけばいいんだよ」

肩をうしろ向きにまわし、すとんと力をぬいて見せてくれる。真似すると、たしかに、いつもより楽にまっすぐ立てている気もする。
わたしと猫背との付きあいは長い。小さいころから気を抜くとすぐ丸くなるわたしを、母は「力を入れて! ぴんとして!」と口うるさく叱った、それで、わたしは「猫背じゃない人はつねに力を入れてがんばっているのだ」と思いつづけてきた。みんながんばっていてえらいなあ、でもわたしにはムリ。叱られるたびにがんばってみてもすぐ気が散って力がぬけちゃうし、まあ、もう猫背でもいいや、怠惰なら怠惰でいいや、というふうに。
なので、猫背を「がんばって背負っている」といわれたことが、まったくの予想外だった。わたしはじぶんが誰よりも脱力していると思っていたのに、そうではなかったのか。

さて、一年にわたってこのエッセイ「あなたになれないわたしと、わたしになれないあなたのこと」を連載した。小学生のころのエピソードから現在に至るまで、それなりにくまなく書いたのではないだろうか。一度、読んでくれた身内に「よく覚えてるね」といわれた。

「せいぜいできごとがあったことは覚えていても、ふつうそんなに細かい感情まで覚えてないよ」

そうかもしれない。いわれてみれば書くことはそんなに尽きなかったし、ひとつひとつの記憶を書き起こしながら、ほとんど当時の気持ちに戻っているような気がすることもあった。
でも、それは正確にはいまのわたしの気持ちではない。かつての感情を抱えたままのちいさなわたしがまだわたしのなかにいて、そいつといっしょに書いているような感覚だ。
なので、わたしが人より多く覚えているとしたら、わたしのなかにはそれだけたくさんのわたしがいるのではないか。

人づてにあるたとえ話を聞いたことがある。知りあいの知りあいが、生きるのがしんどい理由について語ったことばらしい。

「ふつうの人の人生がじゅうたんの上を歩いていくようなものなら、わたしはこれまで通ってきたじゅうたんをすべて巻き取って、背負って歩いているみたいだ」

その人がどんな人なのかは知らないし、聞いたかもしれないけれど覚えていない。このあとがきを書くために、話してくれた人に許可をとろうとしたら、その人ももう覚えていなかった。
それで、ただ強烈なイメージだけが、なぜかわたしの中にだけ残っている。

かたつむりのように、駄馬のように、砂漠の物売りのように、重たそうに自分の人生を背負いこんで歩く人のシルエット―――

接骨院の帰り道、そのことを思い出しながら歩く。

わたしのなかにはたくさんのわたしがいる。鏡を見ると、そいつらが背後霊のように映り込む気がする。気づいたら増えていたからしかたない、みんな過去のことを引きずらずに生きていてえらいなあ、でもわたしにはムリ。まあ、もう根暗なら根暗でいいや。
そう思ってきたのだった。
そいつらを、自分ががんばって背負ってきたのかどうか、よくわからない。消し去ろうと思うと怖いし、消し去ろうと思っていないのに忘れてしまうのはもっと怖い。重たくてやっかいなこともあるけれど、いとしくてたまらないこともある。

でも、「がんばってまっすぐ立ちなさい」でも「がんばって背負いなさい」でもなく、「がんばって背負わなくても、べつに落ちたりしないから」といわれたのがそいつらのことだったら、どんなにいいか、と思ったのだ。

一年のあいだ、このエッセイで順番に書いてきたのは、わたしの背後霊のことだった。五歳で弟ができたときのわたし、十一歳で転校したときのわたし、十四歳でだれかを傷つけたいと願ったわたし、十九歳で友だちに死なれたわたし。
エッセイに書いたからといってそいつらにとってはなんの解決にもならず、起こったかなしいことはかなしいことのままだ。でも書くことは、背骨の正しい位置をたしかめる感覚に、すこし似ている。

肩をうしろ向きに回し、すとんと力を抜く。
ひとつだけ欲をいえば、これまでわたしのごく個人的な経験の数々を読んでくださったあなたにとって、このエッセイがそういう快い脱力をもたらすものであったら、これほどうれしいことはない。

一年間ほんとうにありがとうございました。

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お知らせ

前回もお伝えしましたが、このエッセイ「あなたになれないわたしと、わたしになれないあなたのこと」が本になります!

現在、わたしの結成している詩の朗読×エレキギターユニット「Anti-Trench」のファーストアルバムを制作中です。それにともなって行うクラウドファンディングのリターンとして、エッセイ単行本を製作・販売いたします。

ぜひごらんください!
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おまけ

このエッセイの第九回、「見知らぬ三十九歳のこと」は、Twitterやはてなブックマークで大拡散された。いわゆる「バズった」というやつだ。ちょうど話題になっていたニュースのことを書いたからか、共感してくださる方が多かったからか、数十万PVを記録した。それでここを知ってくださった方もいるのではないだろうか。

記事が「バズる」と、当然いろいろな人の目に触れることになる。すると、ふだんは想像だにしていないところからリアクションが来る。わたしはそれに憔悴し、「バズった(B面)」という心境をつづる記事を書いた。が、火に油を注ぐことになりそうな内容だったので泣く泣く没にしてしまった。
それを、せっかくなのでここに公開しておく。もうほとぼりもさめただろうとたかをくくっているためである。
省略しているところはあるがほとんど修正はしていない。このエッセイを愛読してくれた方への特典のようなものだと思っていただければ幸いである。

「バズった(B面)」

文章を書いてツイッターで公開したら、バズった、ので文章を書いている。ふだん公開初日は二百PVいかないくらいの弱小エッセイなのでかなりあせっている。
みんなバズってていいな、とぼんやり思ってはいたものの、いざ自分がバズるとビビる。一日過眠して予定を一個すっぽかし(へこんだ)、そのせいで夜眠れなくなってこれを書きはじめた。ストレスがすごい

内容は読んでもらえるとわかるのですが、端的にいうと、ニュースで話題になっていた三十九歳男性のクレーマーを五千字かけて擁護している。なぜそんなことをしたのかというとその男性に対するこころないバッシングが多すぎてカッとなったからです。

基本的にわたしはこころない事象に弱く、すぐにカッとなる。他人のことでカッとなった勢いで生きつないでいる感じさえある。このことを親しい身内は、「おまえはまだ発達段階にあるので自他の区別がついていない」と評した。今回も自分のことのようにくやしく、そして多くの人が一切「自分のことのように」感じようとしないのがこれまたくやしかった。
なので書いた、そしたらこうである。

正直うれしいより動揺と躁状態と疲労感がほとんどだった。
わたしはたいへん混乱しながら、いただいたコメントをリツイートし、反論にお返事し、リロードしてまたいただいたコメントをリツイートし、いただいたダイレクトメッセージにお返事し、反論にお返事し、リツイート後の言及などで直接わたしに宛てず書かれた反論は確認だけしてそっとしておいた。
ツイッターは基本わたしをある程度好きな人しかわたしのことを見てないやばい空間なので、反論はめずらしい。

わたしは反論されるのはきらいじゃない。
エッセイを書いているときはがんばって矛盾や取りこぼしがないように気をつけているが、それでもあとで読んだら「未熟!」となることが経験上わかっている。反論をもらえると、その「あと」までの距離をショートカットできる感じで、悪い気はしない。逆にほめられると「買い被られているのでは」と勘ぐり、心を閉ざしさえする。

ただ今回はよくなかった。家訓に「ツイッター上で喧嘩をしてはいけない」がなければあぶなかった。
もう、本当に説明してまわりたくなる。ぜんぜんちがう。もちろん的を射た反論や、真摯な意見もいただいたけれど、ごくわずかだ。ちがうか、こころないか、その両方かが多すぎる。ショートカットしてる感がない。
バズるのむずかしくないですか? 日常的にバズってる人ってみんな鋼の精神だなと思っていたが、これじゃ鋼の精神にもなりますね。

そして、ちがうしこころなくもある反論を流し見し、まともな反論をしてくださった方にDMを送ったりしながら、ふとある考えが脳裏をよぎる。

……なぜわたしは、見ず知らずの三十九歳のおじさんのために、こんなことを……?

祝! 自他の区別!
バズって怒られたことにより向坂くじらは満を持して他者を認識、知らないおじさんのことで自分がくやしがったりがんばったりする必要はないのだと気づいたのであった、めでたし、
とは、ならない。

白状すると自他の区別はついている。
ただ、自分がいつ失敗する側、叩かれる側になってもおかしくないとわかっているだけだ。わたしは欠点が多いからそれを意識しやすいのだと思う。
だから、誰かが失敗するとみんながよってたかってその人をバッシングするさまは、見ていてヒヤヒヤする。わたしが意識しやすいだけで、いつ失敗するかわからないのは誰でも同じだ。だから、叩いている人たちが、失敗した人のことを自分とは全く異なる存在だと思い込んでいるのが怖い。
怖い、というのは、その人がやがて自分がしたようなバッシングを翻って受けることになる結末が、だ。できればそうはなってほしくない。

今回クレームをつけた男性と同じ要素を、すくなからずみんな持っているのでは? わたしは持っているよ、油断しないほうがいいよ、そしていつかあなたが失敗してもわたしは叩かないからな、ざまみろ、というのが、今回の趣旨のつもりだった。そしたら、「クレームをつけてもいいということか」と怒られた。

だから、あえて、もっとだめな例の話をしたい。
人を殺したいと思ったことはありますか? わたしはあります。

中学生のとき、学校で悪口をいわれすぎて、クラスの子が悪口以外のおしゃべりをしているのさえ酷い騒音に聞こえるようになった。それを授業中にやられるものだからたまらない。常に自分の席のまわりを爆音のシンセサイザーが囲んでいるのを想像してほしい。
教師に頼んで改善してもらおうとしても、「自分の授業中におしゃべりが横行している」ということを認めたくない教師に、やんわりなだめられるだけだった。
そして、人を殺す方法を調べた。

急ですか? そうでしょう。今のわたしから見ても、当時のわたしのことはまったく理解できない。でも、はっきりとした殺意の感覚は残っている。
けっきょく、ずるずると方法をかきあつめるばかりで、一切実行はしなかった。できなかった、という方が正しい。最初から本気ではなかったと言われたらまあ、そうかもしれない。
ただ、それからしばらくして、隣の席の子を刺し殺した女子学生のニュースを見た。理由は、「うるさかったから」。
彼女はわたしだ、と思った。

それから、わたしは人を殺すかもしれない、という疑念を抱えたまま暮らしている。

もちろん、人を殺したらいけない。これはクレームの問題よりたいへんわかりやすいと思う。人を殺したらいけない。
反論に回答しましょう、クレームもつけたらいけない。でも、「クレームつけたらだめだ」ということは、クレーマーを理解不能な存在として切り捨てる理由にも、わたしやあなたが今後理不尽なクレームをつけえない理由にもならない。

そして同様に、あなたは人を殺すかもしれない、ということを、わたしはときどきあなたに言っていきたい。

誰かに共感したり、擁護したり、向きあおうとしたりする文章を書くと、たびたび「優しい」と評価される。今回もそうだ。そう言ってほめてくれる人もいたし、ディスってくる人のコメントに「優しい面しやがって」という反感が見え隠れしていることもあった。

ほめてくれた人には悪いけれど、これもちょっとちがう。わたしはべつに優しいから男性の気持ちをわかろうと努力したわけではなく、ただもともと思い当たるところがあっただけだ。もともと自分がクレーマーや人殺しを内包しているだけ。
見ず知らずの男性を擁護するために懸命に反論を打っているときは「あれ? すごくがんばっているし、ひょっとして、わたし、優しいのかも?」と思う瞬間もあったが、それは自分に酔っているだけで、すぐに醒める。あさましいでしょう。そうなんですよ。

わたしはただすこし自分が失敗したり加害者になったりする可能性に敏感なだけで、百歩譲ってこれを「優しい」というのであれば、みんなもっと優しくなれるはずです。大丈夫ですよ

(向坂くじら)

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