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06.マイナス感情の有効利用について 〜note始めたきっかけも〜

(画像は実家の保護猫「太郎」と「ハル」(ともに♂1歳)で記事とは関係ありません)

「世の中、暗いニュースが多いなぁ」と感じる人が多いせいもあるんだろうか、
(別にそんなの関係なく昔からそうなんだろうか)
とかく「暗い話題は避けて、明るくいこう」って風潮にはなんだかもやっとすることが多い

あんまり中二病的な方向に行くと一般的に受け入れ難くなるのはわかるけど、そこまで「暗い」のを避けなくてよくないか? と。
人生なんざプラスマイナス半々なんだから(最近読み直した『十二国記』の采王様も言ってた)——と、ぼやくだけでは物足りないので、タイトル通り「マイナス感情の有効利用」について書く。

3.11などに関連してか、「悲しみと向き合うこと」の効用についての文章を見ることは、以前より増えた気がする(最近仕事で読んだ香山リカ先生の『大丈夫。人間だからいろいろあって』にも載っていた)。

個人的には、マイナス感情仲間の「怒りや恨みつらみ」にも、けっこう効用がある気がするのだが、これについてはなかなかあんまりはっきり語られるのを見ない気がする。

記憶に残っているのは、浪人して予備校に通っていた時、駿台の英語の竹岡広信先生(既にカリスマだったが、その後さらに『ドラゴン桜』に出てくる英語科教員のモデルになったり、「プロフェッショナル」に出たり)の授業中の余談で、

「困窮していた頃、母校に雇ってくれと頼みに行ったがにべもなく断られた。ちきしょおおお、と怒り狂って車で爆走していたら、駿台予備校に行き当たって講師に応募した。もし三条通を走っていたら、今頃は河合塾にいたかもね」みたいな話。

怒りや恨みが生むパワーって、時に人生を新しい方向へ動かしてくれる、と思うのだ。

たとえば、筆者がnoteの記事を書き始めたきっかけになったのも、約2週間前の、あるどす黒い感情の爆発であった。

自己紹介にも書いている通り、6年目にして教職を辞し、現在は教育に関わる会社で働いてもうすぐ1年になる。
その中で、自分でもちょっと微妙かな、と思ってはいたのが、元同僚との付き合い方だった。かつての同僚たちは、今では「会社の顧客」になっているからである。

それを再度意識したのは、この3月初め、元・職場で行われる卒業式を見に行った時のことだった。

式の前後に担任として迷惑をかけられまくった生徒らと話をし、
「よかったなぁ、刃物持ってトイレに立てこもった時はどうなることかと」
「ほんとよかったなぁお前も、謹慎が延長になった時はどうなることかと」
なんて思い出話をし(実際は全然「よかった」とか思わねえけどな。一応もう終わったから水に流すというだけの話で)、何人かに「写真撮ろー」とスマホを向けられて集合写真をかしゃかしゃ撮った。最近の写真アプリってなんであんな唇真っ赤になるんやろ。

正直交通費だけで何万もかかるし(交通の便も悪すぎて日帰りできないので宿代も)、別に行く義務もなかったのだが、卒業式となるとどうしたって皆3年間を振り返るから「そういえば2年間担任だったけど転職してった先生がいたんだよね、今頃どうしてるんだろう」ってな話が出そうな気がして、万が一にもそんな風にしみじみされたかぁねえやい! というのがとにかくあった。

まあ凝りというほどでもないが、なんかちょいと後味悪いものが残る、みたいな、そんなのは嫌だったので、行ってきたのである。
全員と話せたわけではなかったが、まあとりあえずこれはこれで一区切り。初担任した連中と一緒に、これで気持ち的にも教員から卒業できたかもな! とかな。

その後職員室へ行き、仲の良かった先生とは
「どうよ、一般企業は」
「いやー、ボーナス出なくてつらいっすね。でも残業代は出るし、土日があるのはいいです」
なんて話をして、名刺を配ったりして、(一応「今後仕事で営業に来た時はよろしくお願いしまーす」などと言って)円満にお別れをしてきた。

本題はその後である。

この学校には、筆者の同期がいた。さらに去年は同学年を教えていたこともあり、転職の件を内示前にカミングアウトしたのも(管理職の次に)この人が最初であった。(この時、初めは「仕事つらくて転職したい」という身の上相談だと思ったようで、しばらく話が通じなかった)。

卒業式の後には「いやー無事卒業してよかったね」みたいなやりとりもしたのだが、えらくあっさりした受け答えで(なんか対応冷たくない?)とは思っていた。

というのも、この人からは昨年秋ごろLINE経由で「忙しい時に悪いんだけど、ちょっと頼まれてくれん?」という依頼が入った。
前職絡みの内容で正直「自分にはもう関係ない話」ではあったのだが、(同期のよしみだしねー)と思って、筆者はけっこう丁寧にその依頼に応じていた。

そんなこともあったので、卒業式の日はちょいとつれない雰囲気だったが、数日後にこちらからLINEするのに特に抵抗はなかった。

「先日はどうも。卒業式の時はばたばたして忘れていたんだけど、ちょっとご協力いただきたいことがあってさ〜」と送った。
(こっちも向こうのお願いに応じたし、手間を取るといっても10分くらいだし、まあ聞いてくれるだろう)と思って安心しきっていたら、

同期「それはちょっと無理なので、◯◯◯◯したらどうですか(←そんなんとっくにこっちでも検討してらぁ、でもそれじゃ意味ねえんだよっていう案)。先日はどうもありがとうございました。では。」(要約)

——は?
——おま、去年のこと覚えてねえのかよ。鶏か。

まあ冷静になって考えてみれば、そう返してきた背景もわからんではないのだが(「学校側【非営利組織】→一般企業の人間への依頼」なら純白でも、「一般企業【営利組織】→学校の人間への依頼」になるとグレーがかってくるんじゃないか的な)、まあこいつ管理職目指してそうだしな、しかしおい、そりゃあんまりにも薄情ってもんじゃねーの? おい。別に法に触れることを頼んでるわけでもねえんだしさー?
(あと、どこの学校も若手はストレス抱えまくって大変だからとくに同期仲間なんかには「みんなで頑張って乗り越えような! エイエイオー」的な体育会的ムードが常に漂っており、その反面、そこから外れた人間は一転「落伍者」の扱いを受ける。実際、1年目が終わった時点で数人消えていた時は自分もそうだった。そうみなすことに何も疑問を感じなかったさ)

——とまあ、昼休みの職場のデスクでしばらく固まったが、少し落ち着いてから返信した。
「ご返信ありがとう、了解です! 今後とも何かお手伝いできることとかあったら声かけてください。大変だと思うけど、くれぐれも体には気をつけてね!」(要約)

と送って、即・着拒 → 連絡先削除

(あーまじ時間無駄にした、頼みなんか聞いてやるんじゃなかったわ、時間かけたぶん無駄やった……つか、こいつとはほんと、前々から合わねえなとは思ってたんだよ、すぐ人のこと事情も聞かずに思い込みで決めつけやがるし、視野が狭えんだよ。短絡的すぎ。だから◯◯も××だったんだろうがよ。もー縁切ろ。つかもう今縁切ったわ。あーあ、にしてもムカつく、なんか気晴らしの手段ねえもんかな)

と、午後の仕事を再開しながら、ふと、少し前に登録だけしていたnoteの存在を思い出したのである。

「前々から、どっかに書きたいことは色々あったんだよな。書いてやろ」

実につまらん話だが、こういう動機であった。
その晩、ボスボスボスとサンドバッグを殴りつけるように複数記事の下書きができた(最初の数日に投稿した記事の元はこの日にだいたい生まれた)。

——というわけで、もし元・同期がこっちのお願いをすんなり聞いてくれていたら、ここまでの12記事は世に誕生しなかったことになる。あってもなくても変わらないミジンコ程度の変化だが、まあアウトプットの習慣ができたのは、自分としてはよいことに違いない。

いつでものんびりゆったり、快適に生きていたら、決して生まれることのない何かを生み出す力が、強いマイナス感情(特に怒り、怨恨)にはある。

高校時代、何かに取り憑かれたようにガリ勉してた時期、「中学時代に自分を疎外した連中にだけは負けたかねえ」(その頃はまだ模試の校名氏名入り成績一覧を生徒も見せてもらえた)というのが原動力の一つであったのも思い出す。数学はずっと悲惨だったが国英なんかで県一位だった時は心中で散々罵倒してやって楽しかったものである。

ゴミも糞もうまく使えば塞翁が馬、自分にとって良い方向に、新しい方向に向く力を生み出してくれる——どんなに暗いものも、飲み込めば自分の力にできる
そこまで言うと楽観的に過ぎるかもしれないが、まあ、こう思って生きてれば、何をやるのも怖くなくなるじゃないか。

読んでくださり、ありがとうございます。 実家の保護猫用リスト https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/25SP0BSNG5UMP?ref_=wl_share