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神は急いでないし、茶でも飲んで落ち着け

休職開始から3週間。時々ふらっと出かけたり、鬱々とすみっコぐらしになりながらも生きている。時々思考が暴走して堂々巡り、周回コースから飛び出した先が中華街だった…なんてことも、あったりする。さすがに想定外の展開だったが、友人とよく来た中国茶の店に入る。

お茶を楽しめるように、お茶とお茶請けを頼んだ。ぼうっとする頭で選んだ中国茶はガラスの急須で届けられた。菊の花、サンザシ、クコの実…と穏やかな色彩がそこにはある。店員さんがお湯を注いだら、菊の花が花開いたように見えて、そこからはもう夢中だった。
お湯で花開くなんてそんなわけない。それでもそう見えた瞬間は忘れられない。

まろやかなお茶の風味、蓋に残る香り、お茶請けの甘さがあいまって、「もう少し休んでいたほうがいいのだろう」という考えに着地する。

ネットで「休職」と検索すれば、「休職期間は規則正しく、決まった時間にどこかに行くように」とすぐに出てくる。本質ではない。とにかく休むしかないのだ。私のような人間は「では!生活リズムが乱れないように張り切ってスケジュールたてていきましょう」なんて言い出す。そう掻き立てられてしまううちはまだ休めていないし、それを見越してふらりと過ごしていた。

それでも妊娠かもしれないと暴走してしまうのだから、私ってめんどくさい。結局妊娠じゃなかったので、徒労に費やした時間が帰ってきてほしい。現職場も、同上。

やっと本当に休めるようになった。失ったものはあるが、それはそれで探せばいい。奪われているだけでもあり、奪われたくなくて自分で隠したものもあるのだろう。

「サグラダファミリア展」で出会った、「神は急いでいないのだから」という言葉。神様は急いでいない。焦っていたのは、私だけだった。なんで焦っていたのかは、それはたぶん、親と周囲を安心させたかったのだろう。情けないけど、そう育てられたのだから仕方ない。少しずつ手放すしかない。

サグラダファミリアはキリスト教の聖堂だが、どの宗教の神様も「急いでません」とか言うだろう。お茶の前に立ち寄った関帝廟でのおみくじでは厳しい内容が書かれていたが、それもまた「お前さぁ…いい加減にしろよ」というあきれた声にも見える。すんません。

明日は焦って申し込んでしまった職業訓練の説明会。お茶でも飲んで落ち着いて、話だけ聞いて断ろう。やっと休めるのだから。


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