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オランウータンとの出遭い

過去の暮らしを知りたいと思ったとき,どうすれば良いでしょうか…? あんそろぽろじすとでもたびたび紹介しているように,過去の遺物に対して,自然科学の手法を適用するのがひとつの方法かもしれません.

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もっと簡単なのは,その時代に書かれた記録をひもとくことです.その記録を書いた人の主観が混じってはしまいますが,往々にして,遺物の分析よりも詳細に,昔あったできごとや,過去の人びとの日々の生活について知ることができます.こうした方法は,「歴史学」分野の得意技です (参考: 沈没船の樽のなか).

今回は,19世紀以降の探検家たちなどの記録から,過去のオランウータンとの遭遇頻度について検討した,ちょっと異色の研究について紹介します*1.文書記録から人間の活動を復元する研究は数多くあっても,野生動物の実態を復元した研究は,そう頻繁には見かけません.


オランウータンとの遭遇頻度は低下している?

群れをつくらず,独り立ちしたあとは基本的に単独で一生を過ごすオランウータンは,現在,1平方キロメートルあたり2.5個体程度の密度で生息しています.これは,それほど高くない密度です.

実際,1平方キロメートルあたり1.3個体という推定値のでている,ボルネオ島のダナムバレー森林保護区*2で野生オランウータンの調査をしていても,1日中探しまわってもオランウータンがみつからない日が,感覚的には,少くとも1週間に2日程度はあるような印象です.

しかし,19世紀以降にボルネオ島に入った探検家や博物学者の歴史記録をひもとくと,オランウータンとの遭遇頻度はもっと高かったのではないかと思える記述がよくみつかります.たとえば,博物学者アルフレッド=ラッセル=ウォレスが1855年にボルネオ島に滞在した際には*3,きわめて簡単に,29個体のオランウータンを収集している,とMeijaard博士たちは指摘しています*1.


実際のところどうなのか?

Meijaard博士たちの研究グループは,そうした19世紀以降の記録を集めてきて,丁寧に解析することで,ボルネオオランウータンとヒトとの遭遇頻度の時代変化を検討しました*1.59例の記録から,オランウータンとの遭遇数とともに,探検隊や調査隊の構成人数や,調査期間を抽出しました.そのデータから,ひとりの人間が1日あたりに遭遇したオランウータンの数を計算し,年代別に並べ,モデル式を立てました.

こうして得られたモデル式からは,1850年には,ひとりの人間が2日ごとにオランウータンに遭遇していたが,2005年にはひとりの人間がオランウータンに遭遇するのに13日程度かかるという結果が得られました.

ボルネオオランウータンとの遭遇頻度は,19世紀以降から現代に至るまで,たしかに減少しているようなのです.


どうして遭遇頻度は低下したか?

Meijaard博士たちは,2つの可能性を示唆しています.

(1) 遭遇頻度の低下は必ずしも生息密度の低下を意味しない.

現代のオランウータンはヒトの怖さを学習し,ヒトを避けるように行動しているのではないか,というのがひとつの可能性です.現代の野生オランウータンは,長期間ヒトに慣れさせて (これを「人づけ」と言います),人間が無害であることをわからせない限り,ヒトと出会うとすぐに逃げていきます.それに対して,博物学者ウォレスの記録*3などを読むと,オランウータンたちは現代ほどヒトを怖がっていないように見えます.

アカンボウをペットとして捕獲するために母親を殺したり,害獣として駆除したり,法律によって厳重に保護されている現代でも,オランウータンは狩猟の対象になっています (こうした研究の話はまたいずれそのうち…).そうした危機を通じて,オランウータンたちは,「ヒトは怖いものだ」と学習してきたのかもしれません.

(2) 実際に生息密度が減少した

その一方で,生息地である熱帯雨林が伐採されてプランテーションになっていること,現在でも狩猟の対象となってそれなりの個体数が殺されていること,ヒトとの接触によって感染症が蔓延した可能性があることなどから,オランウータンの生息密度が実際に減少していたと考えても,なんらおかしな点はありません.こちらの可能性も,大いに有り得ることです.


まとめ

オランウータンとの遭遇頻度が減少した実際の理由をきちんと調べるには,さらなる研究が必要です.しかし,19世紀の探検家や博物学者の記録をもとに,すでに過去のものとなって,タイムマシンでもない限りはもはや調べられない過去のオランウータンの生態について復元した今回の研究は,非常にユニークなものであると思います.

ボルネオオランウータンは現在,絶滅が強く危惧される状態にあります.昨2016年には,絶滅の危険度がもっとも高い段階に引き上げられ,「ごく近い将来における野生での絶滅の危険性が極めて高いもの」とされてしまいました.将来,オランウータンとの遭遇頻度が完全なゼロになってしまわないよう,なんとかしなければなりませんね…

(執筆者: ぬかづき)


*1 Meijaard E, Welsh A, Ancrenaz M, Wich S, Nijman V, Marshall AJ. 2010. Declining orangutan encounter rates from Wallace to the present suggest the species was once more abundant. PLoS ONE 5:e12042.

*2 Kanamori T, Kuze N, Bernard H, Malim TP, Kohshima S. 2017. Fluctuations of population density in Bornean orangutans (Pongo pygmaeus morio) related to fruit availability in the Danum Valley, Sabah, Malaysia: a 10-year record including two mast fruitings and three other peak fruitings. Primates 58:225–235.

*3 ウォレス AR. 1993. マレー諸島: オランウータンと極楽鳥の土地. 筑摩書房 (原著の出版は1869年).

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