タンパク質の毒
「ウサギによる飢餓 (英語だと“Rabbit starvation”)」という言葉があります.ウサギの肉は一般的に脂肪がとても少ないそうです.ウサギ肉のような,ほとんど脂肪を含まないほぼタンパク質からなる肉だけを食べ続けていると,どんなに多量に食べていたとしても,短い期間のうちに飢餓によって死亡してしまう,というなんだか嘘みたいな現象を説明した言葉です.
ひるがえって,人類学の世界では,狩猟採集によって暮らす人びとが,ある状況のもとでは,獲物がたくさんいるのに狩りに出かけなかったり,せっかく狩った動物の肉を食べずに捨ててしまったりする事例が確認されていました.しかも,こうした「もったいない」事例は,豊かな季節ではなく,食料が欠乏する季節に見られるのです.
今回は,こうした狩猟採集民の「もったいない」事例を,「ウサギによる飢餓」の観点から説明した論文を紹介しましょう*1.
「もったいない」事例
北米の南西部の高地平原では,冬の終わりから春にかけて食資源が枯渇します.冬を越して痩せたバイソンだけが,この季節,狩猟採集民にとって容易に獲得できる食料です.にもかかわらず,歴史上の事例や民族学調査の報告によると,狩猟にでかけるのをやめてしまったり,せっかくバイソンを狩っても赤身肉は捨てられてしまったりするそうです.
論文*1中に報告されている事例を紹介しましょう.ルイス・クラーク探検隊は,1804年から1806年のあいだに,北米の東部から太平洋岸にかけて,陸路での探検を実行しました.この探検隊の狩猟の記録です*2.(括弧内はぬかづきによる注記です).
ルイス隊長は隊員たちとともに狩りにでかけた.18マイル (約29 km) を進んだが,河の左岸に見かけたバッファローはたった2頭であった.バッファローは痩せており,狩猟するに値しなかった.(1804年12月)
クラーク隊長は隊員たちとともに昨夜帰還した.シカ40頭,バッファロー3頭,ヘラジカ16頭を狩ったが,その多くにはほとんど脂肪がなく,食べることができなかった.(1805年2月)
こうした事例は,北極の内陸部や,極北の落葉樹林帯など,季節的な環境変動の大きい別な地域でも報告されています.人類学者たちは,こうした事例を説明するのに,これまで頭を悩ませてきました.
タンパク質の代謝
食料の欠乏期に,狩猟採集民がせっかく手に入れた赤身肉を捨ててしまうのは,以下に説明するような「ウサギによる飢餓」を避けるためであると言えます.
タンパク質は,カロリー的には効率の悪い栄養素です.あるカロリーの食物を摂取したときに,その消化などのために代謝や熱産生で失われるカロリーの割合が,脂肪では6−14%,炭水化物では6%なのに対し,タンパク質では30%にのぼります.具体的に言うと,たとえば100 kcalのタンパク質を摂取したとしても,そのうちの30%は必要な代謝で消えていきます.
狩猟採集民が,脂肪が2−3%程度しか含まれない赤身肉のみで1日の必要カロリーを摂ろうとした場合,基礎代謝 (なにもせず動かないで暮らした場合) のエネルギーだけで,女性は1.5−1.6 kg,男性は1.7−1.9 kgを食べきる必要があります.狩猟に出て活発に運動すると,必要量は3.4−3.6 kgにものぼります.脂肪のほとんど含まれない硬い赤身肉を毎日2−3 kg食べ続けるなんて,そうとう大変なことです…*3.
さらに,生理学的には,食品のタンパク質含有割合が大きいほど,食欲は急激に抑制されます.また,タンパク質過多の食事を続けると,腎機能や窒素代謝に障害が生じます.
こうした事情から,タンパク質のみからなる食事を続けていると,以下のような「ウサギによる飢餓」の中毒症状が現れてきます.
脂肪なしに赤身肉だけで暮らした場合,食べる量がどんどん増加していき,1週間後には3−4倍の肉を食べることになる.この頃には飢餓の兆候とタンパク質中毒が見られてくる.いくら食べても満腹せず,胃の不調とぼんやりした不安が襲う.10日目くらいまでには下痢が始まり,数週間後には死亡する*4.
狩猟採集民の解決策
こうした悪影響を避けるため,北極の内陸部や極北の狩猟採集民は,食料が欠乏する冬の終わりから春にかけて,以下のような対策をとります.
●脂肪含有量の高い動物を選択的に狩るようにする.たとえば,クマ,ビーバー,魚,渡り鳥など.
●脂肪や炭水化物に富む食物をあらかじめ備蓄しておく.たとえば,秋のあいだに木の実や植物を貯蔵しておいたり,骨から油を抽出して貯めておいて,赤身肉をディップして食べたり.昆虫,海藻,ライチョウの内蔵,カリブーの消化管内容物,樹皮なども用いられるそうです.
●交易によって,脂肪や炭水化物に富む食物を手に入れる.狩猟採集民と農耕民が,肉と穀物を交換する事例は世界中で見られます.住んでいる地域の違う狩猟採集民どうしが交易をすることもあるでしょうし,狩猟採集民自身が小規模な植物栽培をすることもあります.
おわりに
一見すると不可解な行動の背後に,経験知に支えられたもっともな理由があったりします.今回紹介した研究では,そうした不可解なヒトの行動を説明するのに,生理学の知見が有効でした.さまざまな分野の知見を応用して,ヒトの行動の多様性を説明するダイナミックさは,人類学の魅力のひとつかもしれませんね.
(執筆者: ぬかづき)
注
*1 Speth JD, Spielmann KA. 1983. Energy source, protein metabolism, and hunter-gatherer subsistence strategies. J Anthropol Archaeol 2:1–31.
*2 一次文献は以下の書籍のようです.(論文*1での引用文を翻訳して転載し,ぬかづきは原典を未確認です).
Coues E. 1893. The history of the Lewis and Clark Expedition. New York: Francis P. Harper. (vol.1, p. 211, 233)
*3 一般的な1人前のステーキ重量が200 g程度 (しかも食欲を促進する脂肪がそれなりに含まれる) であることを考えると,この量の多さがよくわかります.
*4 Stefansson V. 1940. Arctic manual. Washington: United States Government Printing Office. (p. 234)
カバーイラストには,以下の画像 (パブリック・ドメイン) を利用しました.
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Tile_al-Qazwini_Louvre_MAO1194.jpg
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