シリーズ「新型コロナ」その9:二度目の緊急事態宣言

■二度目の緊急事態宣言が意味するもの

私は、4月12日に発表したこのシリーズ4で、日本政府が最初の緊急事態宣言を出したのを受け、「きんちゃく袋の紐をゆるめに絞めるところから始め、徐々に強めにしていく、という方策は、ウィルスの感染拡大防止策としては、基本的セオリーのまったく逆」であることを指摘した。
とりあえず必要最低限の範囲に「お触れ」を出しておいて様子を見、必要に迫られたら適用範囲を徐々に広げていく、というやり方は、この新型コロナウィルスが日本に上陸して以来、一貫して取ってきた政府の基本方針だが、もう一度はっきり言おう、こういう緊急事態において「様子見」と「調整」は禁物なのだ。特に、この新型コロナウィルスのように、弱毒性・強感染力のウィルスに対しては逆効果だ。

私はさらに、シリーズ5(4月13日発表)において、こう指摘した。
「安倍首相はおそらく毎週のようにこの手の厳しい要請をつきつけてくるだろうとさえ予想している。相変わらず、きんちゃく袋の紐を徐々に強く絞めていく、という方策が続くのだ。今さら方針転換はできないだろう。」

この、当たってほしくない予想も当たってしまったようだ。
昨日、安倍政権は二度目の「緊急事態宣言」を発出した。今度は地域限定ではなく全国が適用範囲だという。これも「様子見」のうえでの判断だ。
安倍首相は、全国に広げる理由を、こう述べている。

「北海道、茨城県、石川県、岐阜県、愛知県および京都府の6道府県については、現在の対象区域である7都府県と同程度にまん延が進んでいる」
「これら以外の県においても、都市部からの人の移動等によりクラスターが各地で発生し、感染拡大の傾向がみられることから、地域の流行を抑制し、特にゴールデンウィークにおける人の移動を最小化する観点から、全都道府県を緊急事態措置の対象とすることとした」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200416/k10012391681000.html

相変わらず「様子を見た結果、こういう現象が起きてしまったので、方針を変えます」というスタンスだ。よくない現象が起きることを防ぐための対策のはずが、「起きてから対処しよう」になってしまっているのだ。

■「コロナ疎開」が意味するもの

最初に適用範囲として指定された7都府県以外に感染が拡大してしまった主因は明らかだ。
おそらくそのもっと深刻な原因は「コロナ疎開」だろう。
指定された地域の住人が、指定されていない地域に流れた、ということである。こういう人の動きは、予想されていたはずだ。この動きを制御できなかったのは失策である。
感染していない人間が大都市を出て行くことは、むしろ歓迎すべきことである(今となっては手遅れだが)。問題は、その中に感染者が混じっている可能性があることだ。

17世紀、ヨーロッパにペストの猛威が吹き荒れたが、「ロビンソン・クルーソー」の著者であるイギリスの作家ダニエル・デフォーは、ロンドンでの大流行の様子を克明に書き残している。それを読むと、ロンドンの富裕層は、こぞって「ペスト疎開」を始めた。政府は、地方への感染拡大を防ぐため、疎開希望者に「健康証明書」を発行したという。
感染症拡大防止策の基本セオリーとしては、都市に集中している人口をできる限り初期の段階で(まさに「3密」を防ぐため)減らす必要がある。
21世紀の日本でこれをやるには、初期の段階で何が何でもPCR検査を可能な限り増設する必要があった(特に人口密集地域で)。それを最低限にとどめさせてしまったのは「法律の壁」だ。新型インフルエンザの予防を前提としている現行の「特措法」は、保健所を通さなければ検査ができない建てつけになっている。これが明らかに「検査渋滞」あるいは「検査トリアージ」の原因になっている。今頃になってようやく「超法規的措置」が必要とばかり、医師会が、主治医や「発熱外来」から直接検査要請ができるような「バイパス」を設けるよう提言した。これは本来行政の仕事であり、しかも1カ月遅い。

日本の現行法には「公序良俗」というもっとも基本的な考え方がある。「公序良俗」とは、社会の一般的秩序や倫理・道徳のことを言う。法律行為は原則として自由だが、民法90条は公序良俗に反する事項を目的とした法律行為を無効としている。公序良俗に違反する法律行為は、国家的・社会的にみて放置できないからである。つまり、その法律を執行した結果、公序良俗に反するような事態になってしまったら、その法律の方を無効にする、ということだ。現行の「特措法」は、公序良俗に反する結果を生んでいないか。この法律を遵守しようとするがあまり、いたずらに感染者を野放しにしたり、患者を重篤化させたりしていないか。そうした法律に基づく政府の基本方針も公序良俗違反の方向に向かっていないか。国民は、民法90条違反で国を訴えることもできるのではないか。

私は、またしても悪い予想をしなければならないようだ。
この2度目の緊急事態宣言でも事態は収束しないだろう。
仮に、感染者が一時減ったとしても、それは「見せかけの感染ピーク」にすぎない。後になって、もっと大きな感染ピークがやってくるだろう。
安倍政権は、来週あたりはロックダウンに限りなく近い要請(たとえば都市間の移動削減要請など)、あるいは人との接触、営業、通勤を、7~8割よりももっと厳しく削減する要請を出してくるかもしれない。
しかも、「国民一人あたり一律10万円」という給付以外の政府醵出は期待しない方がいい。おそらくこの10万円は、まるで国民の自助努力に対する「ご褒美の飴玉」のように遅れて給付されるだろう。

■「7~8割減」から「ゼロ」へ

私が今もっとも危惧しているのは、政府の相変わらずの『最低で7割、極力8割』という中途半端な言い回しである。2~3割の「余地」を残しておきたい裏には、経済活動への「慮り」が隠れているのだろうが、この「慮り」が医療崩壊を招き、死者を増やすだろう。今、ウィルスの蔓延より憂慮すべきは、政府の中途半端な要請によって、国民の間に「油断、慢心、迂闊」が蔓延してしまっていることである。
この緊急事態において、なおかつ政府の対策が後手後手に廻って、かえって事態を悪化させてしまっている現状において、もはや『最低で7割、極力8割』では手ぬるい。ここは「ゼロにする」要請を出すべきところだ。営業、出勤、3密状態を「極力ゼロ」にする要請を出して、その結果ようやく「7~8割減」が実現できる、といったところだろう。本来なら、「日常の買い物は制限せず」という特例がつけられるのは、無症状者・軽症者に対して準医療施設への隔離措置がきちんとできている、という条件の下に限られる。
要請には強制力がないだけに、強めに出しておくべきだった。しかも、感染がここまで広がる前に出すべきだった。これも1カ月遅い。
ウィルスは、「必要緊急の人の外出や移動なら、感染しないようにしておいてあげよう」とはいかないのだ。安倍首相が「出歩く気なら、感染のリスクを覚悟してください」と言い出す日も近い。

私はまたしても最悪の予想をしなければならないようだ。このままの政府方針が続けば(おそらく続く)、日本はこの新型コロナウィルスとの闘いに敗れるだろう。しかも、この敗北は、まさに「茹でガエル」よろしく、国民の間に、気づかないほど少しずつ忍び寄り、気づいた頃には、取り返しのつかない事態となり、医療は早々に崩壊し、経済は破綻し、国民の多くが命を落とすか、あるいは失業するだろう。
私は祈るような気持ちで、切に願いたい。
「どうか日本政府が、一刻も早く基本方針を180度変えてくれますように・・・」

想像してみていただきたい。
これが目に見えないウィルスではなく、猛烈な勢いの台風だったとしたら・・・。まともに立ってもいられないほどの暴風雨の中、あなたは家から外に出るだろうか。呑気に「仕事に行ってきます!」となるだろうか。今、ウィルスという目に見えない台風が猛威を振るっているのである。しかもウィルスは台風よりタチが悪い。台風は1日で過ぎ去るだろうが、ウィルスは過ぎ去らない。場合によっては何年も居座り、私たちの命も生活も人間関係も文化も、すべてを危機に晒し続ける。台風なら、ひたすら我慢するだけで、自然に通り過ぎてくれるが、ウィルスは、私たちが「積極的なひきこもり」を意識的にしない限り、収まってはくれない。だからこそ、初期の段階でできる限りがっちりカギをかけ、様子を見ながら少しずつ緩めていく措置が必要だったのだ。もちろん、そのためには最初に国民への十分な「インフォームドコンセント」が必要になる。

私は3.11の原発事故が起きたとき、100万人単位の「ロシアン・ルーレット」が始まった、と思ったものだ。つまり被曝者(私も含めた)で不運なクジを引き当てた者は癌になる、ということだ。今回は、新型コロナウィルスを「ジョーカー」にした「ブラインド・ババ抜き」が全国レベルで始まった、と感じている。普通のトランプの「ババ抜き」は、自分がジョーカーを引いたことに気づくが、「ブラインド・ババ抜き」では気づかない。しかもこのジョーカーはいくらでも増える。
「人を見たら感染者と思え」という事態が、ついに来てしまったのだ。


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