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フロイトやユングを超えて(夢の学び13)

心理学、精神分析、夢分析と言ったら、まずフロイトとユングというダブル・ビッグ・ネームが思い浮かぶでしょう。もちろん、この二人はこの分野での世界的草分けであることに間違いはありません。ただ、この二人の理論にとどまっていることには、私はあえて異議を申し立てたいと思います。
その理由をはっきりさせておきましょう。

まず第一に、この時代の心理学や精神分析学の主眼は、精神病の患者をいかに治療するか、というところにあった、という点です。こういう言い方が許されるなら「マイナスの状態にある人を、いかにゼロの状態に戻すか」というテーマでしょう。これには二つの大きな問題点が含まれています。ひとつは、治療者はどうしても患者を自分より一段低い人間と見做しがちになる、ということです。残念ながら精神病の治療の現場では、いまだにこの傾向が見受けられます。もうひとつは、「子どもが大人になった時点で、人間の成長は止まる」という生物形態学的な考えが心理学者の間にも根強くあった、ということです。ここ最近になってようやく「成人発達論」が出てきて、「人間は死ぬまで成長できる」という新しい常識に入れ替わりつつあります。ここには、年若い医者が人生経験豊富な老年の患者を診ることの矛盾があります。
こうした事情から言えるのは、「マイナスをゼロに戻す」方法論と、「本来3である人が1にとどまっているのを改善する」方法論とは、似ているところもあり、根本的に異なる部分もある、ということです。

第二の理由は、フロイトやユングの時代には考えられなかった意識進化の超個的レベルが、20世紀後半から21世紀にかけて、ベールを脱ぎ始めている、ということです。これによって心理学も大きなパラダイム・シフトが要求されている、ということです。こうした背景から出てきた新しい心理学派のひとつが「トランスパーソナル心理学」です。
私はユングの「分析心理学」(みすず書房)という本を読んで愕然としたことがあります。
これは当時60歳のユングが医療従事者を対象に行った講義録なのですが、その中でユングはアメリカのプエブロ・インディアンを調査したときのエピソードを語っています。
ユングは明らかにインディアンを「未開人」扱いし、彼らは抽象的思考ができず、もっぱら感覚や感情にもとづいて世界認識していると断言しているのです。これはあまりに偏った「西洋中心主義」です。今こんなことを言ったら、世界的な抗議が殺到するでしょう。
さすがの天才ユングと言えども、その時代の意識レベルの平均的な到達段階を超えることはできなかった、ということです。一方で、アメリカ・インディアンの意識レベルの平均が、ヨーロッパを下回っていたという根拠もありません。むしろ霊的な成熟度という意味では、アメリカ・インディアンの世界には、宇宙の根本原理を表す「大いなる神秘」という「サムシング・グレート」に匹敵するような概念がある分、彼らの方が西洋人より「超近代的」と言った方がいいかもしれないのです。

この第一の理由にも第二の理由にも共通に言えることは、もし心理学、精神分析、夢分析といった分野に携わる専門家が、相変わらずフロイトやユングの時代の意識レベルにあり、成熟度において自分より上のレベルにある患者を治療の対象にした場合、正しい判断ができないばかりでなく、かえって患者の症状を悪化させてしまうようなこともあり得る、ということです。
私たちは、人の心(意識あるいは内面)を扱ううえで、フロイトやユングを超えた21世紀型のものの考え方を早急に手に入れる必要があるでしょう。
ちなみに、私が師匠から叩き込まれた「夢学」は、特定の心理学理論に準拠するのではなく、純粋に「夢」という現象に全幅の信頼を寄せ、あくまでその夢をみた本人(夢主)にとっての意味を尊重する、というものです。

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