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「私はこうして夢を学んだ」(その8)

人は、生涯をかけてどんなことにこだわりを抱き、どんなライフテーマを追究していくのでしょうか。それはいくつぐらいのとき、どんなかたちで暗示されるのでしょうか?

私は子どもの頃からイルカの夢をちょくちょくみています。自分自身が大海を自由に泳ぐイルカになっている夢、あるいは何かのトラブルに巻き込まれたイルカを自分が救う夢など、シチュエーションも様々です。それでも、イルカというシンボルは、私の夢のレギュラーメンバーであることは、昔も今もかわりありません。
私にとって、イルカとはどんなイメージの存在でしょうか。
賢くて、遊び好き、人間との相性もよく(しばしば人間の命を助けもする)、狩りの名人でもあり、サメなどの獰猛な海の生き物にもひるむことなく、うまく共存している。そんなイメージでしょうか。
海とは、広大な無意識の領域を表すでしょう。イルカがそんな海を住処にしているという点ではまさに、「無意識をいかに意識化するか」というテーマを長年追い求めてきた私自身を象徴すると言って間違いないでしょう。

このシリーズを続けるにあたり、だいぶ古い日記を引っ張り出してきて、そこに書かれた夢の記録を紐解いてみました。
1980年11月13日(22歳当時)の日記に、イルカの夢の記述を見つけました。

プールの中で数匹のイルカが、最初は無秩序に泳ぎ始めますが、やがて一匹になって、8の字を描いて泳ぎ始めます。時速200キロぐらいの猛スピードです。その様子をじっと見守るうち、水が減り始めます。やがてプールの底に泥濘だけが残ります。他の見物人は引き上げてしまいます。イルカの姿はどこにも見当たりません。土に還ってしまったのかと思います。
私は棒で泥濘をかき回し、イルカを探します。必死で探すのですが、何も見つかりません。諦めた頃、泥の底から元気な姿のイルカが頭をのぞかせます。私は喜んで、急いで水道のコックを開けに行き、プールに水を流し込みます。イルカは高く跳ね上がり、生の悦びを体全体で表します。見物人が驚いて戻ってきます。見物人は、水がなくなったのにどうしてイルカが生きていたのか不思議に思います。イルカは少しの間なら水がなくても生きられるのだと、私が言います。それに、泥はいくぶんか湿っていたので、大丈夫だったのだろうと思い、私はイルカの強い生命力と躍動感に感嘆し憧れます。

以上は、ほぼ当時の記録のままです。
プールが私の無意識、イルカがそこを住処とする私自身だとすると、この夢は、その後の40年とそれを経た現在の状況を予言しているような内容だと感じます。
大学卒業当時、友人たち(数匹のイルカ)は、それぞれの道に歩み始めます。そんな中、私はあえて自分の世界に閉じこもる道を選びます(プールに一匹だけ残る)。
私はその時期、ある意味猛烈な勢いで自分の無意識をかき回し始めたのだろうと思います。8の字は「∞(無限)」に通じるでしょう。まさに私は「夢学」の探究というかたちで、いまだに人間の無意識をかき回し続けているのかもしれません。
当時私は自宅に籠って、とにかくものを書き続ける、ということをしていました。そういう点でも今とさほど変わりないのですが、日記をつける習慣を身につけたのもこの頃です。その日記を今読み返してみると、まさに自分の無意識の中身をとにかく書きなぐっているため、それが夢の記述なのか現実の出来事なのか見分けがつかないほどです。
そんな生活を一年続けた後、私はようやく「社会復帰」します。それは現実の生活に追いまくられることも意味していました。それからの20年は、プールの水が徐々に抜けて、イルカである自分がその下の淀みに埋もれていく時期だったのです。
バブルが弾けて、そんな現実生活にも限界が訪れたとき、私は干上がったプールに自らの決断で再び水を注ぎ始めます。夢の学びを本格的に始めたのがこの時期です。
無意識に対する私の探究心は死んだわけではなかった、ということです。それからさらに20年かけ、「水を得た魚」ならぬイルカは、再びプールで泳ぎ始めます。ケン・ウィルバー理論と夢学を合体させた「インテグラル夢学」をまとめ、それをもとにドリームワークを始めることで、再び無意識をかき回すライフワークに取り組み始めたというわけです。
これが、22歳のときの夢を40年後に読み解いた意味です。また20年経ったら変わるかもしれません。

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