「科学」の仮面をかぶった「迷信」
■「夢」=「REM睡眠」という迷信
「夢日記をつけると、精神が不安定になる」「色付きの夢をみる人は頭がおかしい」
夢にまつわるこんなバカバカしい低レベルの「迷信」を、あなたはまさか信じていないだろう。
よく、母親が幼児に対し、触ってほしくないものに触らせない「方便」として、「これに触ったら、お化けが出てきますよ」などと、呪術めいた脅しをかけることがある。もちろん、幼児が相手なら、このやり方は理に適っている。
夢に関する初歩的な迷信も、この類だ。夢に触れてほしくない「隠された理由」があるのだ。どうもこの理由は、人間の深層心理の中に深く根を下ろしているようだ。
雑草を退治するなら、地上に出ている部分を刈り取るより、地下の根っこから引き抜いた方がいい。この際、「迷信」の根っこを引き抜いておこう。
その前に、「科学」の仮面をかぶった「迷信」についてはっきりさせておきたい。この迷信は、実にもっともらしく、「科学神話」として巧妙にできているため、ほとんどの人がコロッと騙されてしまう。実は専門家も騙される。
夢に関する「科学神話」の典型的なものは、「夢は、脳が記憶を整理するメカニズムである」と言い切ってしまうことだ。しかし、これは微妙な神話である。これがもし「睡眠(特にREM睡眠)の働きのひとつとして、脳が記憶を整理するということがありそうだ」といった表現なら、非常に科学的な推論として成り立つ。
より厳密に科学的見地に立つなら、まず、夢とREM睡眠を同一視してはならない。では、夢はREM睡眠の一側面か? いや、そうではない。REM睡眠が夢の一側面なのだ。その証拠に、人はノンREM睡眠のときにも夢をみることが、すでに解明されている。
※夢は「レム睡眠」のときに見るのウソ↓
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO83023620Q5A210C1000000/
つまり、REM睡眠は、人が夢をみることの必要絶対条件ではないのだ。
そもそも、夢という現象を科学的に探究するのに、脳科学の言葉(脳波、ホルモンなど)だけで語ろうとすること自体に「科学神話」が隠されている。しかし、科学者はどうもこの「科学神話」をやりたがる。
被検者の頭に電極を取り付け、ベッドに寝かせて夢をみてもらい、夢と脳波の関係を調べる、といったことは、「睡眠」の研究ではあっても、「夢」の研究ではない。そのとき被検者がどんな夢をみていたか、後になってインタビューし、夢の内容と脳波の動きを関連付けたとしても、「こんな夢のときには、こんな脳波になる」ということがわかるにすぎない。それはやはり夢を通した睡眠の研究にすぎない。ところが、科学者(特に右上象限の専門家)は睡眠の研究だけで夢を語りたがる。それだけで夢を研究した気になりたいらしい。そして、一般の人は、そうした「専門家」の言うことを鵜呑みにする。ここから「科学」の仮面をかぶった微妙な(気づかれにくい)「迷信」が生み出される。
■「意識学」の常識は完全に覆った
非常に興味深い実験がある。
現存する世界最大の思想家と言われるケン・ウィルバーは、自分の頭に脳波測定装置を取り付け、ある特殊な瞑想状態に入る。
すると、四・五秒もたたないうちに、アルファ波、ベータ波、シータ波は完全にゼロを示し、デルタ波だけが最大値を示した。これは脳死状態に匹敵するという。
その数分後、今度は別の瞑想法を始める。すると、最大限のデルタ波に加えて、相当な量のシータ波が即座に現れた。
つまりこれによって、覚醒状態の人から、通常は深い眠りのときにしか出ないはずのデルタ波と、通常は夢をみているときにしか出ないはずのシータ波が、両方とも高い値で検出される(ことがあり得る)と証明されてしまったのだ。つまり、REM睡眠状態とノンREM睡眠状態の両方が、寝ていないはずの人間から同時に観測されてしまったのだ。ちなみに、ウィルバーは、起きているとき、深い眠りのとき、夢をみているとき、瞑想しているとき、それら脳生理学的には異なる意識状態だと言われているすべての状態のとき、変わらぬ一貫した意識状態を保っているという。特に、深い眠りのときにも、覚醒時と同じ意識を保っているというのは驚きだ。この実験は、人間の意識状態に関する「常識」を完全に覆している。意識学、睡眠学、医学・生理学のパラダイムは、根本からの組み立て直しを強いられるだろう。
※この実験の動画がYouTubeにアップされている↓
https://youtu.be/LFFMtq5g8N4
しかし、これはあくまで「どんな瞑想法のときには、どんな脳波になるか」という実験にすぎない。もし、そうした特殊な瞑想法の最中に、ウィルバーの頭の中で実際には何が起きているのかを知りたければ、ウィルバーの膨大な著作のうち、少なくとも瞑想(あるいは意識状態)に関して書かれた部分だけでも丹念に読み、そこに書かれていることの意味をよく吟味する必要がある。それはもちろん、単なる幻想でも詩的想像力でもなく、ウィルバーが実際に体験していることであり、紛れもない心的リアリティである。そうすれば、脳波計の動きを観察するだけで、何かを知った気になることが、どれほど部分的で表層的なことかがわかるのだが・・・しかし、これをやろうとする誠実で粘り強い研究者は滅多にいない。
夢の研究に関してもまったく同じことが言える。この事情を改善するには、夢という現象を、内側の視点から研究する人と、脳波計などを用いて外側の視点から研究する人がチームを組む必要があるだろう。しかし、残念ながら、こういう共同研究の話は聞いたことがない。したがって、夢に関して十全なかたちで研究されたことなど、いまだにほとんどないのだ。
■産業革命の弊害
何が邪魔をしているのだろう。「母親」が「幼児」に、夢について深く触れさせたくない事情があるとしたら、その理由はどこにあるのか。
その根っこは、産業革命時代にある、と私は見ている。
18世紀から19世紀にかけての産業革命時代は、科学技術の爆発的な発展により、生産の現場が極端に「大資本化」「大規模工業化」され、その結果、大量の労働力が必要になった。子どもまで労働力として駆り出された事情もある。必然的に、資本家層と労働者階級といった具合の分極化がなされていく。労働者には最大限の生産効率が求められ、人間の存在価値は「生産性」という数値にどんどん還元されていく。人間性よりも技術力(腕のよさ、手際のよさ)が、人事評価の基準になっていく。
資本家としては、労働者に頭より手を動かしてほしい。労働者に必要以上の「主体性」や「自律的思考」を持たれては都合が悪いのだ。その都合の悪さから目を逸らさせるため、母親が幼児にするように、資本家層が労働者層に「迷信」を吹聴したとしても、何ら不思議ではない(たとえば、「夢日記なんかつけるものじゃない」「夜はしっかり寝て疲れを取り、明日に備えろ」など)。
当然、人間の内面はどんどん抑圧されていく(つまり、あるのにないかのように扱われる)。「起きている間は、しっかり目を開けておけ。夜寝ている間のことなど、昼間に考える必要はない」といった風潮、つまり「人間の思考が内面に向かうと、労働の妨げになる」といった風潮が芽生えたとしても、何ら不思議ではない。こうして、「機械人間」や「イエスマン」が大量生産され、人間の内面的な部分は、ますます外面的な世界へ還元されていく。
実は、物理的な(表面的な)研究さえしておけば科学を営んだことになる、といった風潮も、産業革命を背景にした「啓蒙思想」(客観性科学への偏重など)がもたらした大きな「弊害」のひとつだろう。
私たちは、この傾向をいまだにはっきり引きずっている。たとえば、「心の病を投薬や行動療法だけで治そうとする」といったことに始まり、「コロナ禍の最中にオリンピックを開催するのか・しないのか」といった問題に対し、「そもそもオリンピックを開催する意図とは何で、それを今回はどう実現するか」といった議論はそっちのけで、制度や体制作りに終始する(いわんや、医学・疫学的な問題まで政治・経済的な問題に還元してしまう)、といったことに至るまで、数え挙げればキリがない。
そうした「内面の外面化」(「夜の世界の昼化」と言ってもいい)といった風潮は、当然夢に対する認識にも及ぶ。夢に関する迷信は、(「科学」の名のもとに)いまだに作られ続けている。
しかし、こうした18世紀・19世紀的価値観・世界観が、21世紀に通用するはずもない。「機械人間」や「イエスマン」の大量生産は、かえって生産性を低下させ、ミスやトラブルも起きやすくなることは、すでに共通認識になっているはずだ。
私は、新しい「夢学(内面学)」を通して、21世紀の人々が、産業革命時代に作られた「科学の仮面をかぶった迷信」からさっさと卒業し、新しいパラダイムを手にすることを秘かに企図している。
※このテーマに関し、より深く知りたい方は、有料記事「人生を半分しか生きないことの弊害」をご覧ください。
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