見出し画像

夢で込み入った問題を解決する(夢の学び44)

今回は、次の二つの文献について、簡単に取り上げよう。どちらも、夢が個人の悩みや集団の問題の解決にいかに役立つか、という事例が紹介されていて、非常に興味深い。まさに、夢が個人の利益だけでなく、公共の利益にいかに資するか、というテーマである。
 
○ヘンリー・リード著『ドリーム・ヘルパー』桜井久美子訳(たま出版1994)
※本書は1997年以降「夢ヒーリング」に邦題が改名されて再版されている。
○ジャック・マグワイアー著『ドリーム・ワークブック』矢納摂子訳(VOICE1992)

■「夢学」とはどのような学問分野か?

そもそも「夢学」とは、どのような分野の学問だろう?
心理学? 精神分析学? 超心理学? 脳科学? 神経生理学? 認知科学? 人類学?神話学? それとも神秘学?
どれも正解でどれも不正解だ。
私に言わせるなら、「夢学」は既存の特定の学問領域の「一部」ではない。
夢学は、人間の心や意識に関わる学問領域であれば密接な関連性を示す極めて学際的な研究領域だ。お好みなら「夢学」は「統合人間学」であると言っても差し支えない。
簡単に言うなら、「夢学」は「夢」という現象を通して、人間の「意識」とは何か、「脳」とは何か、「眠り」とは何か、「対人関係」とは何か、「幸福」とは何か、「平和」とは何か、ということを追究していく学問である。もっと平たく言うなら、「夢学に照らして見るなら、人間の意識とはこのように見える、脳とはこのように見える、社会とはこのように見える、文化とはこのように見える、幸福や平和とはこのように見える」といったことを追究する学問である。決してその逆ではない。つまり夢学とは、夢とは何かを心理学的に、脳科学的に、神話学的に追究するものではないのだ。こういう言い方をするなら、「どれかではなく、その全てである」と言わざるを得ない。

ある研究者は言うかもしれない。
「あなたの言っていることは、回りくどくてよくわかりません。私は夢とは何かを、脳科学の立場から研究したいと思っているのですが、それは間違いなのですか?」
私は答えるだろう。
「間違いではありません。私の言っていることを、あなたが回りくどいと感じるのは、あなたがある特定のものの見方に馴れてしまっているからです。あなたが常に『そうではない見方』に思いを馳せるなら、あなたは両方の見方を手に入れるでしょう」

問題を整理しておこう。
夢学を大きく二つのジャンルに分けるなら、「外面学」と「内面学」に分かれる。
○外面学としての夢学は、医学、生理学、脳科学、神経学、看護学、薬学、睡眠学、精神神経免疫学、生命科学、認知科学、社会学、システム科学などと密接に関係している。
○内面学としての夢学は、哲学(形而上学)、心理学(超心理学)、精神分析学、文学・芸術(美学)、現象学、倫理学、人類学、教育学、言語学、記号学、歴史学、神話学、宗教学、神秘学などと密接に関係している。

「夢学」をあえて4つのジャンルに分けるなら、外面学としての夢学も内面学としての夢学も、それぞれ「個人学」と「集団学」に分けることができる。つまり、次の4つの視点による研究である。
○個にとって夢とは何かを外面的視点から見る。
この分野はこう言うかもしれない。「夢とは神経細胞の発火によって主にREM睡眠時に引き起こされる脳の生理的機能の副産物である」
○集団にとって夢とは何かを外面的視点から見る。
この分野はこう言うかもしれない。「夢とは古代から神託として扱われ、今でも人と社会、人類と神との間の弁証法的ダイナミズムを構成するものである」
○個にとって夢とは何かを内面的視点から見る。
この分野はこう言うかもしれない。「夢とは人間の無意識を反映したものであり、個人の段階的な意識の発現を促す媒体である」
○集団にとって夢とは何かを内面的視点から見る。
この分野はこう言うかもしれない。「夢とは、人と人との間にあり、独自の力学をもって個を全体へと時空を超えてつなぐ通底器である」

このどれもが間違っているわけではなく、どれかが正しいわけでもない。ただ、どれかひとつの視点から夢を研究して、「これが正解です」と言ってしまうなら(これを「還元論」と呼ぶが)、それは他の見方から反論を受けても文句は言えない。
「還元論」とは、「群盲象を撫でる」の類である。ある盲人は象の尻尾を撫でて「象とは鞭のようなものである」と言い、ある盲人は象の鼻を撫でて「象とは太いホースのようなものである」と言い、ある盲人は象の耳を撫でて「象とは巨大な団扇のようなものである」と言う。どれもが間違っているわけではなく、どれかが正しいわけでもない。
ついでに言っておくが、上記4つの見方をひとつにまとめる「統合パラダイム」も試みられてはいる。つまり「象は確かに部分的には鞭のようでもホースのようでも団扇のようでもあるが、それらを統合して何とか象を一言で言えないか」という試みである。それは立派なチャレンジなのだが、その「統合パラダイム」自体が還元論になってしまっている場合もあるので、注意が必要である。この事情は、もちろん「夢学」に限ったことではなく、あらゆる知の領域に言える傾向である。

■外面学から内面学へ

いわゆるフロイトやユングの精神分析学的な研究は別として、夢に関する実験科学的研究は、「夢の学び41」でご紹介した「ドリーム・テレパシー実験」が始まりと言っても過言ではないだろう。これは明らかに外面学としての夢学であり、したがって実験の方法論は、結果を数値に還元して判定する「定量分析」が中心だった。つまり、夢にテレパシー機能があるのかないのかを判定するのに、専ら「的中率」を統計学的に判定する方法が用いられたのだ。

1960年代からスタートしたこの一連の実験で中心人物となっていたヘンリー・リードとロバート・ヴァン・デ・キャッスルは、70年代に入って、新しい試みを始めたようだ。「ドリーム・ヘルパー」あるいは「ドリーム・ヘルパー・セレモニー」と呼ばれるものがそれだ。これらを総称して、ここでは「ドリーム・ヘルパー実験」と呼んでおく。この「ドリーム・ヘルパー実験」は、夢学が「外面学」から「内面学」へと一歩を踏み出したものとして評価できる。方法論としては、定量分析も取り入れていたようだが、中心は定性分析である。つまり彼らは、実験結果に価値判断を加えている。ただし、結果からなるべく「恣意性」を排除するため、「ドリーム・ヘルパー実験」の問題解決効果や癒しの効果に注目している。
余談だが、この「ドリーム・ヘルパー実験」のプログラムは、ヘンリー・リードがみた夢がヒントになって開発されたという。
「数値判断」ではなく「価値判断」にシフトした、ということが問題だったのかどうか、つまり学術的な研究ではないと扱われたのかどうかはわからないが、この「ドリーム・ヘルパー実験」を詳しくレポートしている文献は、私の知る限り邦訳ではヘンリー・リードの『ドリーム・ヘルパー』(たま出版)しか見当たらない。しかも、この本でさえ、残念ながら「ドリーム・ヘルパー実験」のことだけを取り扱っているわけではない。私は、もっと大きく(本一冊分を使って)取り上げられてもいいと、個人的には思っている。
 

■「ドリーム・ヘルパー実験」の流れ


この実験は、被験者を情報の発信者と受信者に分けるところは「ドリーム・テレパシー実験」と同じである。ただしこの場合、発信者はある特定の情報源の中からひとつを選ぶのではなく、自分が抱えている個人的な悩みや問題を情報として受信者に向けて発信するのである。受信者は、その悩みの発信者が誰かは知っているが、もちろんその悩みの中身についてはいっさい知らされない。そして一晩寝て翌日、受信者がみた夢を持ち寄って集まり、発信者が送って寄こした悩みと、その原因と、その解決策を、自分たちのみた夢から読み解き、それを発信者に伝える。発信者は、受信者のそうした検討の様子をオブザーバーとして黙って見学するのだが、自分の悩みの深層部分が受信者たちによって次々に言い当てられ、おまけに解決策まで提示されるのに驚かされる。そして、最後に発信者から悩みが打ち明けられるのだが、すると、受信者はその悩みが自分の抱える個人的な問題ともシンクロしていることに気づくのである。
つまりこの「ドリーム・ヘルパー実験」は、参加者全員にとって、驚愕に満ちたグループ・セラピーの様相を呈するのである。
これが「ドリーム・ヘルパー実験」によって引き起こされることの基本構造だが、話はこれで終わりではない。
実は、この実験でもっとも注目すべきことは、悩みの発信者も受信者も気づいていない、その悩みの「深層部分」まで、受信者の夢によってあぶり出されてしまう、という点にある。その深層部分は、発信者が公表した悩みの内容とは、一見すると関係ないように思える場合さえある。ところが、悩みの発信者が、受信者によって提示された解決策を実際に実行に移してみたときに初めてその意味が明らかになったりするのである。それはまるで、悩みの発信者にとって「あなたの本当の悩みは、それではなく、こちらの方だ」ということを、他人の夢から学ぶようなものだろう。もし、悩みの発信者がその後の成り行きを受信者に報告したら、さらに大きな共感とともに、この実験の意義が共有されるのである。
日本夢学会の姉妹団体である「ドリームフレンド・風」においても、1990年代からこの「ドリーム・ヘルパー実験」をくり返し行ない、その度に同様の結果が出ている。
「ドリーム・ヘルパー実験」は、夢が個人の自己成長や問題解決だけではなく、公共の利益にも資する可能性があることを立証する重要なプログラムのひとつであることは疑いようがない。

なお、この「ドリーム・ヘルパー実験」について、日本夢学会のホームページで、もう少し詳しく解説しているので、ご興味のある向きにはご欄いただきたい。

さらに詳しい内容や、日本での事例については、日本夢学会の会員専用サイトに掲載してある。

■DI:集団の問題解決に夢を役立てる

夢を媒介として、個人の悩みをグループワークの手法で解決する実験を「ドリーム・ヘルパー実験」と呼んだわけだが、それに対し、集団に発生する問題を、その集団の構成員のみる夢によって解決する実験を、私たちの研究グループでは「DI」と呼んでいる。
DIの「D」は「Dream」を表す。「I」は「Incubation(孵化)」「Information(情報)」「Innovation(変革)」の3つの意味を含む。
このDIの導入事例は、公式のものとしては、私の知る限り残念ながらジャック・マグワイアーの『ドリーム・ワークブック』(VOICE)に掲載された1例のみである。その事例を以下に簡単に紹介しておこう。

国際的に知られた経営セミナーの講師であるフランシス・メネゼスは、研究開発部門員の士気を高めるために1987年にインド政府直営の大規模化学工場に雇われた。彼は52人の研究員を集めて三日間のセミナーを開いた。毎夕食後に研究員たちは、職場での悩みを一言にまとめて紙に書き、それを封筒に保管するように依頼された。そして、床に就くときにその封筒を脇に置き、書いた悩みに関する言葉に注意を集中し、そのことについての夢を誘発しようと望みながら眠りに落ちるように言われた。
その日以来、半信半疑だった者も含め、全員の研究員が、職場の悩みに関連する夢をみたと報告するようになった。たとえばある研究員は、立派な業績を持つ同僚を非難する夢をみた。別の研究員は、わからずやの上司に研究室の備品を投げつけて攻撃する夢をみた。
メネゼスはこれらの夢をすべて分析し、それに基づく提案を会社の上層部に提出した。感嘆した上層部は、研究所内のコミュニケーションを改善したり、より生産的な研究班を編成したり、より柔軟性のある労働環境を作るための数々の改革を実施した。
一方、セミナーに参加したほとんどの研究員が自発的に毎週夢の研究会を開き、前週の夢について議論し、翌週のテーマを決める活動を始めた。
メネゼス曰く、「夢はいつも私たちがもっと大きな統合に近づくことを促しています」

ちなみに、日本におけるDIの導入事例は、わが師・大高ゆうこ先生が手掛けた1例だけある。私たちの研究グループでは、これからDIの実践事例を増やしていく予定である。
このDI技法に関しても、日本夢学会のホームページで、もう少し詳しく解説しているので、ご興味のある向きにはご欄いただきたい。


無料公開中の記事も、有料化するに足るだけの質と独自性を有していると自負しています。あなたのサポートをお待ちしています。