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「私はこうして夢を学んだ」(その4)

私は今まで、何度となく自分が死ぬ夢をみています。
自分の死の夢とは、生まれ変わる(一回り成長する)合図です。サナギの死は蝶の誕生を意味します。

最初の自分の死の夢は、4歳ぐらいのときです。これが事実上私の最も古い記憶だろうと思います。この夢をみなかったら、私はその後まもなく本当に死んでいただろうと、夢の専門家になった今、実感できるような夢です。つまり、本人が死なないために、死ぬ夢をみせられた、ということです。そのメカニズムについては、長くなるのではしょります。

次は16歳か17歳ぐらいのときだったと思います。私は夢の中で、長い葬列の行進を見ているのですが、その先頭の人が持っている故人の遺影が私なのです。しかし、驚きはなく、妙に穏やかな気分だったことを憶えています。
これはおそらく依存から自立へ、というサインだろうと思います。

三回目は30代のときです。ちょうど経済状況にも家庭生活にもヒビが入っていた時期で、私は生き直しを模索していました。
私はある身近な人物に「死になさい」とそそのかされ、屋根の上から飛び降りたところで目が覚める、という夢です。
そのときの私の実人生での状況を考えるなら、明らかに生まれ変わるサインの夢でした。
実際に、そこからまったく異なる方向性での人生の流れが始まったと言えるでしょう。
まさに、人が一段階上の成長を遂げる際には、いったんそれまでの「自己」が死ぬ必要があるのです。

自分が死ぬ夢はまだあると思いますが、今思い出すのはこんなところです。

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