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「ドリームヘルパーセレモニー」(夢の学び24)

前回、私が「夢・虎の穴」と呼ぶ、「ドリームトレーナー養成講座」についてご紹介しました。これは他人の夢をドリームワークするのに最低限必要なノウハウや心構えなどを学ぶ講座です。
夢は、その人の無意識から本人に宛てられた「手紙」のようなものです。それをドリームワークに供することはプライバシーの開示でもあります。したがってドリームトレーナー(ドリームワーカー)には当然守秘義務があります。グループワークの場合には、参加者全員に守秘をお約束いただけるよう伝える必要もあります。
それは、夢に絶対的な信頼を寄せ、夢に敬意を払うことでもあります。こういう言い方が許されるなら、「夢には、それ独自の命がある」と思っていただきたいのです。したがって、ドリームワークをすることは、夢という人格と対話する試みでもあるわけです。実際、あなたが自分の夢にそっぽを向くなら、夢もあなたからそっぽを向きます。あなたが自分の夢に敬意を払うなら、夢は喜んであなたに重要なメッセージを送る(贈る)でしょう。あなたがそれを許すなら、夢はあなたのよきパートナー、よきメンター、あなたの人生の応援団長になってくれるでしょう。

さて、半年間の濃密な「夢・虎の穴」の講座が終わりを迎えようとするとき、「卒業式」が行なわれました。これは、「おめでとう」の言葉とともに、祝福を受ける儀式でしょうか。とんでもありません。夢を学ぶうえで、もっとも過酷で困難な試練とも言えるものです。まさに「イニシエーション(通過儀礼)」の名にふさわしい儀式です。言うなれば「夢・虎の穴」の総仕上げです。それは、この世でもっとも厳粛で崇高な儀式のひとつと言っても過言ではありません。それは、物理的・表面的に「飾り立てている」といった意味の対極にある荘厳さです。もちろん緊張します。しかし緊張しながらもリラックスすることも要求されます。あなたの理性、論理性、感性、直観力、想像力、表現力、奉仕の精神、コミュニケーション力、霊的な力、聖性、エゴを超える力、そして、あなたの愛・・・そうしたありとあらゆる「人間力」が試されるのです。

その儀式は「ドリームヘルパーセレモニー」と呼ばれるものです。これは、一言で言うと「他人の問題を解決するために、ドリームワーカーが、夢をみる自分の力を無条件に提供する」というものです。
私は、夢の王国憲法第一条において、次のように述べました。

「夢の所有者は、あくまで夢主である。いかなる夢主も、自分の夢の所有権を決して他人に譲り渡してはならない。夢の所有権譲渡は、自分の領土への侵略を許すことに等しい。」

この大前提に対する唯一の例外と言えるのが、この「ドリームヘルパーセレモニー」です。この儀式のときばかりは、「ドリームヘルパー」たちは、純粋に他人のために夢をみて、それを無条件に提供することになります。つまり自分がみた夢の所有権放棄です。したがって、ドリームヘルパーになる条件として、純粋に個人的な現象であるはずの夢に、実は公共の利益に資する側面があることを、実体験として持っている必要があります。ここまで「夢の学び」を深めることのできる人間は限られています。少なくとも、夢に疑いを抱いていたり、エゴの強い人には向いていません。
しかも、この儀式のMC(マスター・オブ・セレモニー)になれる人は、さらにその上を行く「マスタードリームワーカー」でなければなりません。つまり、夢という現象を、その公共性も含めて隅から隅まで熟知している人ということです。さらに、こういう人は、夢がいかに汲み尽くし得ない奥深い現象であるかも知っているため、夢に対して謙虚な姿勢を保ち続けてもいるでしょう。私はこの度、師匠からその称号を拝受しましたが、まだ単独でドリームヘルパーセレモニーのMCを務められる自信はありません。
まず間違いなく、日本でそれができるのは、我が師・大高ゆうこ氏だけでしょう。なぜなら、大高氏は、ここ30年あまりの間に10万件を超える夢の臨床例を持っている人だからであり、何よりも自分自身の夢を対象に臨床を実践し、自己研鑽を積んでこられた人だからです。これだけの経験値を持つドリームワーカーは古今東西どこを探しても、まずお目にかかれないでしょう。そういう意味では、フロイトであろうがユングであろうが裸足で逃げ出すに違いありません。
さらに師は、ドリームヘルパーセレモニーを実践するにあたり、その準備段階として、夢がいかに個人性を超越して公共性を発揮するかの実験を積み上げてきました。
そればかりではありません。師はこのセレモニーが、単なる「霊的な儀式(下手をするとオカルトや超常現象)」と言われて終わるのでなく、きちんと論理的な成果をもたらすよう、情報工学の方法論まで導入しています。つまり、師は夢の活用法を心理学の一分野といった偏狭な視野で捉えるのでなく、「ドリーム・サイエンス」あるいは「ドリーム・テクノロジー」というところまで拡大発展させているのです。ここまで徹底して実践する人は、世界広しと言えども他に類をみないでしょう。
ただし、この儀式の内容は非公開です。今回、師の許可を得て、ギリギリお伝えできる範囲で書いています。

ここで「ドリームヘルパーセレモニー」の成り立ちについて簡単に触れておきましょう。
このセレモニーの考案・研究・実践者として、ヘンリー・リード、ロバート・ヴァン・デ・キャッスル、マーク・サーストンといった心理学者の名前を挙げることができますが、こうした面々がいずれもエドガー・ケイシーの研究者だからでしょうか、残念ながら心理学の一分野ではなく超心理学あるいははっきりオカルトの分野という「怪しいものには蓋をしておけ」式の低レベルなレッテルが貼られてしまっていることは、残念で仕方がありません。
このセレモニーのルーツとしては、ネイティブ・アメリカンのイニシエーションの儀式を挙げることができますが、もちろん専門の研究者たちによって、単なる民族的な風習を超えて、さらに洗練され、普遍化されたかたちになっていることは言うまでもありません。
大高氏の方法論はそこにとどまらず、こうした先駆的な研究者たちの方法論を「含んで超えている」ものだと、私は確信しています。その具体的な理由についても、これから可能な限り明らかにしていくつもりです。
このテーマは一回ではとても語り切れないので、またいつか取り上げます。


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