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シリーズ「新型コロナ」その18:日本人よ、目を覚ませ!

■そろそろ敗戦処理を考えるとき

緊急事態宣言は、5月6日には解除されず、どうやら延期されそうだ。
もちろん事態が収束に向かう確証を得られていないのだから、当然の結果だろう。
私は、このシリーズ9で、「2度目の緊急事態宣言でも事態は収束しないだろう」と予言したが、見事に的中してしまった。
日本は、感染防止対策の基本セオリーを無視して、「様子見」と「調整」に明け暮れ、決断を先延ばしにし、まごまごしているうちに感染が広がってしまったのだから、仕方がない。この体質は相変わらずだ。
この1カ月の間にも、様々な専門家の言い訳が聞こえてきた。
「PCR検査を増やせ、と言うが、この検査ははっきり言って精度が低く、あてにならない」
「検査を増やすと感染者の数を増やすことになり、いたずらに医療現場を逼迫させる」
「日本は善戦している。対策が遅れたということはない」
「日本は世界的に見ても感染者の数が少なく、感染爆発には至っていない。したがって都市封鎖するほどではない」
もちろん、新型コロナウィルスに対する対策という意味では、世界中が初めての経験をしている。スタート地点は平等だ。しかし、中国、韓国、台湾、ドイツ、ニュージーランドなど、同じ貧弱な武器だけの闘いで善戦し、すでに勝利宣言をしている国もある。日本は大きく水をあけられてしまった。いかなる言い訳も通用しない。それはひとえに政治の貧困さであり、国民の意識の貧困さでもある。

先手必勝の原則から言えば、日本は、すでに後手後手に回っている。はっきり言って負け戦だ。これは、先の大戦以来の負け戦かもしれない(いや、その前に3.11の敗戦があったが)。そのツケはいずれ近いうちに回ってくる。日本はそろそろ、敗戦からいかに体制を立て直すかを考えた方がいいかもしれない。
後手に回ったことで、増やさなくてすんだはずの犠牲者を増やすことになった。自宅待機を余儀なくされた軽症者の症状が突然悪化し、孤独のうちに死んでいった事実を見れば明らかだ。これは人災だ。今となっては、その犠牲を踏まえて、時間をかけて収束に向かわせるしか方法がない。
日本は崖っぷちなのだ。落ちるにしろ、踏みとどまるにしろ、痛みを伴う。あなたにはその自覚がどれだけあるだろうか。

■考えられる最悪のシナリオ

私は今から予言しておこう。今年の後半から来年にかけ、失業者、ホームレス、コロナ孤児などが街に溢れ、自殺者も増えるだろう。そうした人たちの救済のために、福祉行政が逼迫し、今現在の自粛要請に伴う経済補償などですでに逼迫しているこの巨大な赤字国家が経済破綻を起こしても何ら不思議ではない。
職を失い、経済的に困窮し、行政に救済を求めても、いっさい得られない、という事態がいつ起きてもおかしくないのだ。私には、この「不沈艦」がゆっくりと沈んでいく姿がありありと目に浮かぶ。
最悪だがリアルなシナリオとして充分あり得るのは、まず医療崩壊が起きる。新型コロナ感染症に限らず、いかなる病気や怪我で病院に行こうが、門前払いを受ける。そうした事情から、「コロナ孤独死」が相次ぐ。感染拡大は止まらない。やむを得ず、遅まきながらロックダウンを断行する。しかし、補償を伴わないため、経済破綻を起こす。食料と安全を求め、都市の住民はこぞって田舎に疎開する。それによって、地方にも感染が拡大する。東京をはじめとする大都市は次々に廃墟と化す。もちろん、「東京オリンピック・パラリンピック」などというたわけたことを言っている場合ではない。

■9年前を思い出せ!

「そんな最悪のシナリオを描いて、人を脅かして、何が面白いんだ」とあなたは思うだろうか。そういうあなたに私は言おう。
「何を今さら! 私たちはすでにそれを目の当たりにしているはずではないか! その苦い教訓をもう忘れたのか!?」
それは、戦後の混乱期のことを言っているのか? いや、違う、ほんの9年前のことだ。
地震、津波、原発事故という三重苦に見舞われた被災地の人に、誰でもいいから聞いてみるといい。自分の家も財産も家族も職も、すべてを一瞬のうちに失い、自分も被曝によっていつどうなるかわからない不安のなか、行政からろくな支援も受けられず、廃墟と化したふるさとの街に呆然と佇んだ経験のある人に、誰でもいいから聞いてみるといい。彼らは言うだろう、「あのとき私たちが味わったことを、あなたたちが今、全国規模で味わっているだけの話だ」と。あなたはあのとき、「しょせん、他人事」とタカをくくり、「対岸の火事」を決め込んでいたのではないか?
甘い! まったくもって見込みが甘い! 教訓など、これっぽっちも生かされていない!
日本人よ、いい加減目を覚ませ!

かくいう私は、3.11で被災地の人たちが経験したことを、すでに25年以上前に経験済みだ。バブル経済がはじけ、失業し、それがもとで離婚し家族を失い、東京を追われた。あのとき私は自殺していてもおかしくなかった。何がそれを引きとどめたのか。それが何より重要だ。自分の人生を何とか立て直そうとする先の見えない悪あがきの中で、私はジェイムズ・ヒルマンと出会い、そしてケン・ウィルバーと出会ったのだ。彼らとの出会いは、「私にもまだできることがある」と信じさせてくれた。そして今、私を根底から支えるものは、彼らを超えたところにある。
立て直しはいまだに続いている。25年かけ、努力し、苦労し、試行錯誤し、その間、3.11での被災(被曝)経験も経て、もちろん私一人の力ではなく、沢山の人に助けられ、支えられ、私が誰かを助け支えもし、ようやく復活のきざしが見え始めた矢先に、このコロナ騒ぎだ。
そういう私からすれば、甘い! まったくもって見込みが甘い! 教訓など、これっぽっちも生かされていない!
日本人よ、いい加減目を覚ませ! その眠りこけた頭に、自分で鉄槌を下せ!
たとえコロナ騒ぎが収まったとしても、完全に以前の状態に戻ることはあり得ない。戻してはいけないのだ。この際、今までのすべての反省を踏まえて、まったく新しい世界を作り出す必要がある。ただでさえ地球規模で気候変動が起きている中、災害大国である日本が、いつまでも災害弱国でいいわけがない。少なくとも、人災を起こさずにすむところまでは、急いで到達しておく必要がある。

■最悪のシナリオを回避する唯一の方法

今、私の手元に、日本を沈没から救う究極のシナリオがある。
嘘だと思うなら、試してみるといい。あなたが仮に、何かの専門家だとする。医学や疫学の専門家である必要はない。何でもいい、自分の専門的な立場から、この日本の窮状をいかに救済するか、あなた自身が考えるシナリオを描いてみせていただきたい。そして、私のシナリオと比べてみるといい。これは、どちらが優れているかの話ではない。私のシナリオは、あなたのシナリオを包含するだろう。私のシナリオは、あらゆる細部を統合する方法を描いているからだ。どのような個別の方法論をもってこようが、私のシナリオは、それを含み込む上位概念となり得るだろう。個別の方法論を「パッチワーク」したところで、全体的なシナリオにはなり得ない。部分の総和は全体ではないのだ。初めから縦横の糸を紡いで一枚の布を織る方法論が必要だ。
日本には今、台湾の蔡英文総統やドイツのメルケル首相やニュージーランドのアーダーン首相のようなカリスマ的指導者がいない状況だ。日本人は昔から「鰯の群れ」と言われてきた。鰯の群れには、鰯の群れの生き延び方がある。私の描くシナリオは、「同じ方向に向け、全員が連動して動く」という日本人の特質向けでもある。
その概要を知りたい人は、このシリーズの101417あたりをもう一度お読みいただきたい。
はっきり言っておく。このシナリオを採用しない限り、日本は確実に沈没するだろう。この警告は、このシリーズ全体を通して奏でられている「変奏曲」でもある。このシナリオは、ただ単に感染症への対策ということだけではなく、国であろうと企業であろうとボランティア団体であろうと、あらゆる組織体制を根本から改革する力を持っている。しかも、固定した組織を作るのではなく、限りなく自己成長し続けることができる柔軟な組織を作ることになるだろう。


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