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副産物こそが主産物である

古代よりアルケミスト(錬金術師)達は、人工的に金を作り出すことを目指し、結果的に様々な合金技術を後世にもたらした。
それを「棚からボタモチ」「ひょうたんからコマ」と言うなかれ。
副産物こそが主産物なのだ。

出来上がりの料理の味を知らなければ、料理のレシピを書くことはできない。
料理を作っている間、料理人はすでにその料理を味わっているはずだ。

あなたが「人生のレシピ」をせっせと作っているとする。
「何かちょっと違う」と感じれば、あなたはすぐに軌道修正するだろう。
あなたが、今この瞬間に味わっている「何か」にこそ、人生の目的、あなたが目指すべき最終ゴールが映り込んでいる。その「何か」に、あなたがYesと言うのかNoと言うのかが重要だ。Yes-Noをはっきりさせるには、あなたはその「何か」をじっくり吟味し、検証し、評定を下す必要がある。その作業が軌道修正を後押しする。
プロセスこそが成果物なのだ。

目標にいたる最短コースなど誰にもわからない。
むしろ通ってきた道こそが、取るべき軌道なのだ。道すがら見える景色こそが、あなたの見るべき景色なのだ。
だからこそ、私たちにできることは、自分の興味のおもむく方向に足を向け、五感が捉えているものを、まずはありのままに受け取り、なおかつそれにとらわれず、「私が目にするすべての景色が、私を私たらしめる運命に導く」と信じることだけである。
人生の旅路とは、場所の移動ではない。
むしろ料理のレシピを作るプロセスに近い。

もちろんレシピとは、料理そのものではない。いわば、料理へ向かう地図である。
地図は「現地」について描いてあるが、「現地」そのものではない。
あなたは、その地図を片手に人生航路を歩む。もちろん道に迷わないためだ。
その地図には、あなたが「No」と言った何か、曲がらなかった角、捨ててきたものも描き込まれている。人生航路を歩めば歩むほど、地図は緻密になっていく。
そこで、あなたは気づく。
人生の旅路とは、場所の移動ではない。

人生のレシピを手にしていれば、最終的な「Yes」が近づいてきたときに、わかるはずなのだ。
「これだ。これこそ私が今までさんざん味わってきた“何か”の正体なのだ!」

料理を作っている間、料理人はすでにその料理を味わっている。

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