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第1回 中学受験の歴史

連載「ぼく受験するの?」(2022-23版)
第1回  中学受験の歴史

私たちは、ビジネスにおいて、その歴史を紐解くことが多くある。
そこに至った人々の心理、社会の流れを振り返り、次を予測するためだ。

中学受験も同様に考えた。

○中学受験の歴史

中学受験はのはじまりは、近代教育制度の"学制"を導入した明治以降。

〜明治末期〜
小学校 #就学率 は、なんと98%。
当時は小学校までが #義務教育 
官立(今の国立)である上級学校に進学できるのは、本当に優秀な少数の男子のみだったようだ。

〜大正時代〜
第一次世界大戦による好景気で、富裕層の多い都市部で、中学への進学希望者が増加する。
この頃に多くの中学校が創立されるが、進学希望者の増加には追い付かない状況で、現在のような激しい入学競争を繰り広げていた。
驚くことに、この頃は中学受験浪人生もいたようで、#現役 よりも #浪人生 が多かった年もあったようだ。今の #家庭教師 という指導方法もこの頃に生まれようだ。
実は、この頃の文部省(今の #文科省 )は学科試験を禁止し、小学校からの報告書、人物考査、身体検査による選考を指示していた。そう、#中学入試試験 ではなかったのだ。今となってはうらやましい話だ。

〜戦前から戦後〜
旧制中学校のうち、公立校の多くは共学の新制高等学校になる。私学は、男子校・女子校の男女別学に流れる。

〜戦後〜
富裕層の多い東京、神奈川、阪神、京都では、これまでにない中学受験ブームが訪れる。この頃から、世に言う御三家、学費の安い国立大学附属中、早慶や関関同立の附属中が難関校となる。
その背景には、公立高校の入試で総合選抜や学校群制度が生まれ、その制度により、“実力があっても第一志望の公立高校に入れない生徒“ が現れる。
それなら、最初から優秀な私立を目指すとなったわけだ。これが現在の #中学受験ブーム の発端になる。
難関国立大学への合格実績における、国私立中高一貫校の台頭は大きな相関性が生まれる。そして、これが、受験者数の増加に拍車を掛ける結果となる。

と、こんな時代背景が今の中学受験競争にはある。

さて、何を気が付くことは・・・
昔の中学受験も、現在の中学受験も、“難関大学に入学すること“ をゴールにしているのではないか。
事実、40年前に中学受験をした私も、両親も、そんなゴールを描いていた。
その大前提には、「難関大学に入学すれば◯◯◯◯◯」の思想があった。
本来は、この◯◯◯◯◯が最も大切なことのはずなのだ。

と、中学受験の歴史を少し紐解いてみた。

次回は、こんな歴史を理解した上で、“受験者層“にスポットを当ててみたいと思う。

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