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世界が変わることはないから、もがきにもがいて広げている

私は大学卒業後、小学校教員になりました。在学中から、子どもを上手に枠にはめて指導することは自分には出来ないだろうと思っていましたが、実際やってみたらやはり違和感だらけで続きませんでした。

だけど、学校の中で自分たちなりに楽しく過ごそうとする子どもたちが愛おしかったし、大人たちの期待に応えようとしたり、自分の力を信じてがんばる姿はかっこよかったし、わからなかったことがわかったときのきらきら感はずっと見ていたいと思いました。

その後フリーターになりました。元々音楽が好きで、距離的にも職種的にもその近くで働いてみたいと思っていたので、イベント会社のアルバイトをしました。朝も夜もなく働き、物販のお局さんにいびられ、やたら長い待機時間にはだらだらおしゃべりをして、年越しをコンサート会場の廊下で仲間達と迎えました。

ライブ会場から聞こえる音楽を聴きながらアーティストのグッズを売るという状況は楽しくて特別だけど、ライブの後の検品は地獄。仕事に行けば行くほど他の会社の人と顔見知りになって現場に行くのが楽しくなり、人と人とのつながりが増えていくけど、その分人間関係はいろいろあったり。

この仕事は楽しいけど、死ぬまで続けることは自分には出来ないだろうと思っている頃、特別支援学校で病休の代替教員を探しているという電話が来ました。特別支援学校には昔から興味があったため働かせてもらう事にしました。

特別支援学校で働きました。肢体不自由の子どもたちがいる学校で、1年目に赴任した小学校とは全然違いました。1日の過ごし方も、授業内容も、先生の接し方も、給食時間も。先生たちが求めているのはカリキュラムに沿った教育ではなく、目の前にいる子どもと小さな一歩を一緒に歩むことでした。

自分もこの子どもたちが楽しく1日を過ごすことや、小さな一歩を歩むための小さな工夫と地道な作業をする事が苦でありませんでした。

だけど私はこの仕事を続けないと言う決断をしました。校長先生も続けてくれたら助かるのに、って言ってくれたのにもったいなかったかなぁ。契約更新したら責任のある立場にしてくれそうだったんですが、そうなってしまうのが怖かったんです。情けない話ですよね本当に。

そのあともう一度イベント会社でフリーターをしながら勉強して次の仕事につきましたが、いわゆるブラック企業で心身ともに限界を迎えてしまって辞めました。

満員電車やサラリーマン的な仕事に疲れた私は、田舎に行きたい、決まっている仕事をこなすたけではなく、自分のやりたい事を少しでも実現したいと思い、今の仕事をしています。

そうなんです。今も逃げている途中です。

逃げて逃げて逃げまくる

わかっていただけたでしょうか。私はただ、逃げて逃げて逃げまくっているだけなのです。

逃げていたら否応なく違う世界に行ってしまっていたんです。だけど全て興味があって、知りたいと思っていた世界でした。

1番初めに教員をやっていた時は、子どもたちにとっての「先生」になれなくて辞めました。先生ではなく、ちょっと長生きしちゃってる人間としてしか接する事しか出来なかったんです。評価される先生というのは、子どもたちを制する事ができる人だったり、先生の一言で一糸乱れぬ動きをするクラスを持っている人ですよね。私はそれにはなれないし、なりたくないと思ってしまいました。

イベント会社のアルバイトでは、現場にたくさん出ているうちにチーフを任されるようになりました。しかし自分で動くことと人を動かすことは全然違っています。そもそも私はちゃんと仕事を教わった事がなく、習うより慣れろ、という精神の会社でした。にもかかわらず、チーフになった途端下のメンバーのミスによって怒られる事が増えていきました。やってられるか、と思って辞めました。

特別支援学校では、上述の通り、単純に仕事が増えそうで辞めてしまいました。

そんな感じで逃げに逃げて、今は田舎にいます。楽しく暮らしていますよ。

逃げてきてわかってきたこと

逃げないとわからなかったことがあります。

小学校教師という仕事は、遅くても7時半には出勤して、16時ごろまで休憩なしで働き続けます。そして子どもが帰ってから、事務作業や発表会の準備、自分自身の授業研究や保護者対応にピアノの練習までしています。定時で帰っている先生はいませんでした。

あの頃より良くなっているところもあるかもしれませんが、これよりもっと過酷な環境で働いている先生もいます。

イベント会社のアルバイトでは、レジ打ちを覚えました。商品の品出しや陳列ができるようになりました。アンケートや商品説明系の仕事もあったので、知らない人に話しかけるのを躊躇っている場合ではありません。ライブの裏の裏まで知る事が出来ました。大型イベントで迷子を探しました。着ぐるみの中の暑さと視界の狭さと言ったら…

チケットはもぎる前に折り目をつけておくとスタッフに優しいこと、開演直前のトイレは勘弁してほしいこと、車椅子席の人たちも全力でライブを楽しんでいる事をこの目で見て、体験しました。

特別支援学校は楽しいところでした。というより、楽しい雰囲気をみんなで作ろうという、そんな空間でした。だけど、命との距離が近くてつらいこともあります。今日元気に笑っていた人が明日はいなくなっている事があります。

一見すると自分の意思を表現していないように見えて、彼らは意思表示をしています。心で感じています。それをキャッチする技術があるかどうかの問題です。勝手に可哀想と言うのだけはやめてください。

しかし、実際に大変な現実に親や子どもは直面しています。生きて行くのが難しいのは間違いありません。なんとかならないものかなぁ。

想像じゃなくて体験

それくらいテレビで見たことあるから知ってるよとか、友だちがやってるから聞いたことあるよとか、そんなの当たり前じゃんとか思いますよね。

だけど私は自分で体験しないとわかりませんでした。体験することでしか自分ごとに出来ませんでした。

私は、全ての仕事を辞めるときに必ず、自分はなんてダメな奴なんだ、なんでこんなに何もできないんだ、だけどなんでこんなに周りの人たちは優しいんだ、と感じてきました。

どこにいっても自分は仕事ができないだろうけど、できることもあるような気がして来ているし、それを見てくれている人がいないこともないような気がします。

回り道をしていろんな仕事や人を知ることは、すごく楽しいです。いろんな仕事をしている人の気持ちを想像できることは、日常を豊かにします。

今まで出会った人たちのことを想像しながら、目の前にいる人を大切にしたいです。今周りにいてくれている人たちを大切にすることは毎日心がけているので大丈夫です。みんな大事だよ。

だけどこの生き方は、1つの会社で大きなストレスに耐えながら働いている人たちには到底理解されないだろうなと思います。

みんなちがってみんないい、でいいですか?


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