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成長のための成長を求めなくなった日

大学1年生の夏休みに、新しい自分に変態(蛹が蝶になるみたいに、大きく姿を変えるの意)したいと思って参加した武者修行プログラム。

結果は、武者修行史上類をみないズッコケ。
全チームの企画が不採用で、優勝チームもなし。

上記PVのみんなが喜びを叫び、涙を流した瞬間を経験していない僕らは沈黙と悔し涙で結果発表を終えた。

せっかくこうした機会を設けてくれた社長の和也さんに申し訳がない。
これを再スタート地点にして、成長しないといけない。

そうして、ライアンの迷走期が始まった。

東にためになる体験があると聞けば飛んでいき、西に人生の意義が見つかると聞けば急いで申し込んだ。

ただただ、ナニモノかになりたくて。
もう武者修行みたいな失敗はしたくなくて。
何かよくわからないけれど、成果を出したくて。

でも、どれもうまくいかなかった。

成長することを目的に、目の前の挑戦をただの通過点としてしか認識していなかった自分にはその出来事に対して身も心もささげて”本気で”取り組むことができなかった。

「成長のための成長はない。全力で目標を達成する過程で気が付くと、成長している」
武者修行の初日、和也さんから聞いた話がスッポリと抜け落ちていた。

失敗のるつぼにはまっている時に、それを指摘してくれる武者生がいた。
でも、僕の心は建前を口にしてそれを無視することにした。

成長のために毎日いろいろな予定を入れた。
休息してる暇があったら、インプットをしようとしていた。
でも、心が死んでるから何も自分のものにできない。
「早くこの期間が終わってくれ!!」と常に胸の奥底で叫んでいた。
だけど、成長したくてもっと無茶なことをしようとした。


ある日、心がついてこなくなった。


助言を求めて、それを実行しようとしても怖くてできない。
失敗を続けていたから、自分を信じることもできない。
生きている気がしない。

ちょうど節目の時期になっていたので、スライディングでいた場所から逃げ出した。

逃げ出して、自分の心と身体を休めて、自分を見つめなおすことにした。
自分はどういう人間で、何がしたいのか。

そうする中で、南極に研究者としていきたいという思いが有ることに気が付いて、それを目指すようになった。

研究も楽じゃない。つらいと思ったこともある。
でも、逃げ出したいと思ったことは(数回しか)ない。
「はやく終わらないかな」と終わりを待ち望むようなことはない。

「研究手法を身に着ける!」とか言って
あれだけ失敗したのに、成長のための成長を求めていたらバカチンって感じだったけどそうはならなかった。

「謎の解明」という目的のために、手を動かして実験したり、解析をしたりしてるからだと思う。
だから、そんなに心に負担をかけることなく成長できているという実感がある。それに、”成長”に対する考え方に変化も訪れてきた。

前は、「もう二度と悔しい思いをしないスーパーマンになる」ことが成長だと思っていた。0か1かってぐらい極端。

でも今は、「昨日の自分より一歩、前にいる」ことが成長だと思ってる。
成長というよりも、前進。

今武者修行に参加したら、確実に前の結果を超えると断言はできないけれどまったく同じ失敗はしないと思う。
それでよいと思えるようになった今、成長のための成長はもう求めないだろう。

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。