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南極に行った後の人生についての悩みに変化が生じました +予告

進路に迷っていたB3の春ごろに、「南極に行きたい」「南極の植物の研究をしたいんだ」という方針を固めてから2年が経過しようとしています。
僕の最初の動機は「南極に行きたい」というところの比重が大きかったため、相談した先輩方からは「別の目標を持って、そのための手段として南極行きを据えたほうがいい」という話をされてきました。

その後、卒論や1度目の大学院受験失敗を経て、「南極の植物の研究をしたいんだ」の比重が高まっていき、無事に2度目の受験で大学院に合格をしました。こうして、大学の理系学部を卒業して、そのあとに5年一貫性の大学院に進学するところまでが決まりまったのです。

現在地と今見えている進路の延長線を伸ばしていけば、博士号を取得したのちにはポスドクと呼ばれる非正規の研究職を経て、大学の教授などのアカデミックポストを目指す人生になっていくことでしょう。もしかしたら途中で海外での研究職を経験したりするかもしれません。

ただ、そうした大学院以降の道に突き進んでいいのか2つの理由で迷っていました。

1つ目は、ものすごく能動的に選んだ道ではないからです。
大学院の進学は「南極に行きたいんだ」という衝動によって、(より一般的な)企業への就職という道を選ばずに、能動的に選びました。一方で、それ以降に描いているアカデミックポストは単純に進路の延長線上にあるからと受動的に目指しているものな気がしています。勿論研究は好きだし、春から始まる大学院生活も楽しみにしています。それでも、そのあとの人生すべてを研究にささげる覚悟ができているかと聞かれたら、答えはNoです。

2つ目は、家の土地などをどうするか悩んでいるからです。
自分の家は地方の町に家や、畑、お墓の土地を持っています。それらに対して、父からは鬼滅の刃のごとく、「必ず受け継いで次代に遺してほしい」と言われています。父には恩義を感じているし、その意志を組みたいとは思うのですが、研究者としてアカデミックポストを進む人生とそれらの土地を受け継ぐ人生がうまくかみ合うビジョンを思い描くことができません。
今のところ前述のようにアカデミックに意地でも残るという覚悟ができていない以上、そうした土地とかを振り払うことができずにいます。

そんなことを今日まで大学院進学を決めたころからずっと頭の中でぐるぐると考え続けていました。

先ほど、農作物を市場にもっていく父の軽トラに同乗して、父が脱サラして農家を始めた経緯について改めて話を聞きました。
聞けば父は、土地などを継ぐ意志はあったものの農家をやりたかったわけではなく、就職した会社でやりたいことを持っていたとのこと。そして、50歳を過ぎて数十年務める中でやりたかった仕事を終え、農家でもちゃんとお金を稼げることが分かったし、親(僕から見た祖父母)が元気なうちにノウハウを教えてもらおう、と脱サラして農家に転向したとのことでした。

その話を聞いて、父は、個人としてやりたいことを成し遂げてから、(ある種)社会的な役割(土地の継承)を始めたのだと解釈をしました。

祖父と父の年齢差に比べて、父と自分の年齢差は離れているため、父の時ほど余裕はないかもしれませんが、自分自身もしばらくはやりたいことを追及してもいいのかもしれない。

そう肩の荷が少し降りたような気がしました。


予告

南極に行くまでの過程をまとめよう!という趣向で始めたnoteだったので、それまでの日々での出来事や考え事も記事にして残しておこうと思い毎日の日記帳みたいな内容の投稿をしています。
ただ、南極行きセカンドシーズンに入ったということもあるので、今週中に改めて中間報告的なまとめの記事を投稿しようと思ってます。お楽しみに!

頂いたサポートは、南極の植物を研究するために進学する大学院の学費や生活費に使わせていただきます。