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「読書はコスパがいい」論が苦手

twitterなどのSNSでたまに見かける「読書はいいぞ。コスパがいい」っていう話を見ることがなんとなく苦手でした。
その考え方に理解もできるのだけれど、どうしても好きになれない。
そういう入口でも読書をする人が増えることは日本、そして世界にとってプラスなことだと思うけどどうしても腑に落ちない。

そういう悶々とした思いを長らく抱いていたのですが、先日note記事執筆中に「ワイドショーなどはある一時点だけを切り取っているのが苦手」という価値観を自分が持っていることに気づいたことをキッカケに少し理解が深まりました。

自分が「読書はコスパがいい」理論を苦手としているのは、根底にある視野の狭さを想像しているからだと思います。

ただでさえ現代では、情報に必要な時間が短くなったことを契機にネットニュースの速報記事やツイートのように細切れになった情報があふれかえっています。細切れな情報でも情報は情報。それに触れることも有益だとは思いますが、意識してその前にどんな背景があったのか、今後はどうなるのかを考えたり調べたりしなければ、物事は有機的につながっているという当たり前のことさえ忘れてしまうと思います。

その先にあるのはニュース1つ、本を一冊読んで満足してしまう状態です。読書をコスパで語るとき、一冊の本を読んだだけで著者の人生や、ある物事について完全に理解したという考えが根底にあると思います。

自分もそういう考えがあったのですごくわかります。卒業研究の事前調査をするときも一冊の本や、渡された論文だけで必要なことがすべて頭に入れられると思いこんだりしていました。なので、わからないことがあると、新たに調べたりする前に、すでに手元にある情報を繰り返し読んでいました。

コスパにとらわれず、泥臭く情報を追い続けることで物事の有機性が見出せるようになると思います。1冊読んだ後に関連する書籍を数冊読んでみることや、意外なつながりを見出すことを期待しながらちょっと外れた分野の本を読んでみることなどを通じて物事の有機性を見出せるとより理解も深まると思います。

そうして、物事は有機的につながりあっているという感覚を自然と体得すれば、情報があふれかえったこの時代で生きていくうえで非常に有効なスキルになると思います。

千里の道は一歩から。
一時のコスパを求めすぎると、より大きなものをとり逃してしまうと思います。

・・・今の自分が抱いている考えも、より長期的にみると読書にコスパを求めているといえる気もしますが、今回の記事は「1000円前後の本一冊で著者の人生経験を知れるからコスパがいい」などのSNS投稿を見たことをキッカケに構想に入ったということでご容赦をば。

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