理想は目に見えないことにお金を払える社会

こんばんは、研究者として南極観測隊員になりたいライアンです。

導入:日本の研究力が低下し続けている

昨日のニュースでこんなものを見かけました

かつては自然科学をリードしていた時期もあった日本がどんどん地位を落としていっています。

まぁ順位が降下したというのは結果論で、その原因は多岐にわたると思います。

日本が予算を福祉に回したり
他国が予算を研究に回したり
企業が論文化を認めているか否か

すごく(研究の道にいる自分にとっても、社会にとっても)重要なことだと思うのですが一旦そこは置いておくとして。

これの本質は

「目に見えないものにお金を払うことを許容できるか」
にあると思っています。

この場合の目に見えないものというのは、

その価値を出し人が過去にしてきた挑戦や成功・失敗
価値を出そうと努力をしている過程
その結果得た専門的な知識

などです。

この目に見えないところへのリスペクト不足、払いの悪さは研究以外でも見られます。

他の例

僕の知っている範囲になることはご了承いただきたいのですが、

イラストレーター
・大学教員
・年功序列のサラリーマン

(あんまり例が出てこなかった・・・)

どれも単純に何をアウトプットしたか、でしか測られていないのです。

これまでの世界では誰もが均一に同じようなことをアウトプットすることを求められていたのだから、それでもよかったのだと思います。

不均一が求められるこれからその人の血肉に価値を

色々なところで言われていますが、これからは均一に誰でもできることだけに終始していると生きていきにくくなると思います。

そのことに気づいている人ももちろん沢山います。

でも逆にそれに気づけていない人も同じように沢山いる。

僕は「人間誰しも、適正のある所で働けば、他の誰にも出せない物を出せる」
という信念(?)を持っているので、気づけていない人も気づく機会が増えればいいと思っています。

だからこそ、気づいている人たちが率先して

貴方がここに至るまでに得てきたことすべてに価値がある

ということを実感できる社会に作り替えていくことが必要なのではないかと思います。

そうすることで、少しずつでもアウトプット以外の価値にも対価がしっかり払われる社会になると思います。

自分が払えるところから払ってみる

とはいいつつも何もしないというのはアレなので。

僕もできるところから始めてみることにしました。

例えば、twitterで絵を見ていた絵師さんの本を買ったり。

し始めました。

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