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29:究極の家族葬・湯かんでの話

葬儀支援センター開設から2年後の2010年当時、葬式のイロハがようやく見え始め自分達だけで施行できるようになると、ど素人時代は感じなかった違和感のひとつが業者の行う納棺師、話しの内容と動作がマニュアルとして学んだのが見え見え、綿で作る衣裳(紋服・白無垢)は自分の技量を見せびらかす場で、話す内容は薄っぺら、婚礼美粧室を経営してた人間ですから紋服は正装だけど白無垢は正装でなく嫁に行く支度に過ぎず、なんで故人に白無垢なのか意味分からん――、

家族が5万円~出す価値は無いと、全てオリジナルの湯かんを創り上げ、納棺師も自分で行い費用も下げると、終了後は家族の態度が変化するほど、家族にとって価値ある時間になったと自己満足してました。

低料金、高品質の葬儀支援は、年中無休の24時間体制、全ての時間を費やす覚悟が無ければ実現と継続はできませんが、誰かに強制された訳でもなく好きで始めたのですから家族からの感謝の言葉だけで充分でした。

ところが、どんなに自分達で頑張っても菩提寺の読経、戒名で30万円、40万円、50万円~と掛かれば国民年金だけで暮らす老夫婦の片方が逝去したあとの生活は守れない。ならどうすべきか暫し困惑する期間が続いた。

このまま2030年代になれば最大人数のいる団塊世代は終幕期の80代、その前に死後費用の心配をする事なく生きられ、且つ過去の葬式慣習を引きずる団塊世代でも満足する家族葬プランを創り出すしかない。

家族葬を行う必要最低限の内容を備え、且つ追加不要で、超低料金の家族葬プラン設定の詳細から考えると不要なもの(無くても家族葬ができるもの)として『遺影』『施主花』『白木膳』『七本塔婆』『白木位牌』『果物盛』などがある反面、過去の慣習を引きずる年代は読経・戒名まで含まれる事が望ましいと団塊世代の人達との話しで分ってたきた。

依頼する住職は、あんしんサポートが葬儀屋ではなく、弱者中心の支援センターであり利益が無いのは理解してますから、『読経15分』『支度は移動用の黒袈裟』『出来れば居士大姉戒名』でと交渉すると快く受けて貰えた。

正直、長い読経は喜ばれず、前橋、高崎なら50~60万円の居士大姉戒名なら家族は間違いなく喜んでくれ最高の葬儀支援となると伝えると承諾は得られましたが、それでも20万円を切る事はできませんでした。

目指すは直葬価格15万円で可能な超低料金家族葬プラン』

『居士大姉戒名付、宗教者への謝礼50万円、60万円が相場』
『葬儀屋の家族葬プランは最低でも50万円からが相場』
寂しい式場祭壇での葬式でも最低100万円、うちの賑やかな祭壇同様なら150万円~200万円掛かる家族葬が、一般葬儀屋の直葬料金15万円で施行してあげられたら家族に無理をさせず、親戚に文句や嫌味も言われず、すげー喜んでくれるだろうし、高額な費用を掛けずとも、これだけの葬式が出来ると2030年代に必要な葬式のプライスリーダーとして、再度一石を投じられると考える沸々と意欲が湧いてくるのを感じられた瞬間です。

思えば2008年NPO法人として産声を上げた葬儀支援センター、最初の目標、国保から支給される葬祭費5万円だけで可能な直葬支援パックでありましたが、それを聞いた周囲や応援してくれる人達でさえ「絶対できない。最初は10万円から始めてはどうか」と言われました。

しかし10万円直葬でも一定数以上の利用者がいたら、それを半額にする気になるでしょうか、我が事ながら、そこまで人が良いとは思えませんし、10万円を半額にするなど普通の感覚では無理、なら最初から5万円を目指すべきと周囲の心配は有難いと思いつつも一切妥協する事なく走り出しましたが、わずか3年で目標達成したのですから、今回も必ず完成させてみせると走り出したわけです。

当時、家族から評価の高かった『湯灌納棺儀ゆかんのうかん』、葬式の中で最も大事な時間と思い込んでましたが何十件、何百件と意識して家族を見てると最大の不安と関心は『総支払額』であると分ってきました。かつて数百万円が普通だった結婚式を前例とするなら、時代の流れで規模は縮小、費用も利益も下げ、企業努力に力を入れて現在に至ってます。

それは葬式、宗教者と言えど変わらない現実ですから、全体の謝礼額の引下げを目指すなら高額謝礼の菩提寺葬式を受けないと明言し、定額謝礼が当り前の世の中にするしかありません。葬式で大切なのは宗教儀式や菩提寺でなく、残る家族の満足や安心感と葬式後の生活です。

この感覚を全会員に当然の事として強く認識して貰うには、当たり前の如く寄付と称して高額な金を要求する檀家(菩提寺)など全く無用と思えるだけの内容(葬式、盆、年忌法要、墓、散骨など全てに低料金で対応)するシステム作りと実践と実績を残す以外の方法は無いと思った。

完成したら当方謝礼5万円より高額謝礼の菩提寺葬式は受けない明言すると走り出して5年後、家族葬プランから湯灌納棺儀ゆかんのうかんを外して追加できる設定にした事で15万円家族葬プラン完成すると同時に「菩提寺葬式は受けない」旨を全会員に発信、2年間の猶予期間を経て現在に至ってます。

最近は『残る家族の生活最優先で絶対に無理はさせない』と家族目線を徹底しているせいか、湯灌納棺儀の時間も減り、仏教信仰の家族が知っておくべき話題を口にする機会が極端に減っていますけど、折角ですからいくつか抜粋し書き出しますので参考にしてください。

『業者湯かんと簡易湯かん』
湯かんには「業者湯かん」と「簡易湯かん」の2種類があり、専門業者湯かんは部屋に風呂を組立て、故人を裸にして全身を洗い、旅支度をしてくれるもので10万円ほど掛かり、簡易湯かんは集まった人達で手足を拭き旅支度整えるもので2万円~5万円ほど――、いずれも納棺師が先導します。

納棺師として数百件の湯かんをしてきた際、自分が故人だったら――、の前提で裸にされ風呂に入れて全身を洗って貰い、髪を整えたり、化粧したり、旅支度して欲しい人?と女性に聞いた結果、誰一人として「やって欲しい」と言った人はいません。しなくても問題ありませんが、するなら簡易湯かんで充分、ちなみに浄土真宗(本願寺)では旅支度しません。

『四十九日の旅と十三仏信仰』
上記の浄土真宗以外の多くは十三仏信仰があり、四十九日の旅に出ると七日毎に現世での言動に対し裁かれ、その時々で守ってくれるのが十三仏だと言われてます。戒名に信士信女、居士大姉が付いてる宗派の大半はそうです。

不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、勢至、阿弥陀、阿閦、大日、虚空蔵

【初七日忌】:不動明王ふどう
【二七日忌】:釈迦如来しゃか
【三七日忌】:文殊菩薩もんじゅ
【四七日忌】:普賢菩薩ふげん
【五七日忌】:地蔵菩薩じぞう「三十五日」
【六七日忌】:弥勒菩薩みろく
【七七日忌】:薬師如来やくし「四十九日」
【百箇日忌】:観音菩薩かんのん
【一周忌】 :勢至菩薩せいし
【三回忌】 :阿弥陀如来あみだ
【七回忌】 :阿閦如来あしゅく
【十三回忌】:大日如来だいにち
【三十三回忌】:虚空蔵菩薩こくうぞう「永代供養」

また四十九日旅とは、仏教では六道ろくどう(六つの世界)があると考えられ、一番下から地獄界じごく餓鬼界がき畜生界ちくしょう修羅界しゅら人間界にんげん天上界てんじょうこれらを行ったり来たりするのが四十九日の旅と言われます。

『四十九日は納骨する日ではない』
四十九日を納骨する日だと思ってる人が大半ですが、昔は葬式でスダレに忌中の文字があったのを覚えてますか? 忌中とは四十九日の旅の期間で、まだ仏になってない期間のこと、四十九日は忌明けきあと呼ばれ仏様の仲間入りをする日と考えれば良いでしょう。

もう少し正確に言うと早い人は三十五日で仏の仲間入りをし、どんなに遅い人でも四十九日には仏に成る日ですから、忌明けは三十五日~四十九日の間と考えれば良く、期間内で家族が集まれる日に線香を供えましょう。

なら納骨はいつするの?って事ですが、日本は元々が土葬国、土葬は葬式当日に行うものですから『本来の納骨は即日です』

『仏壇は閉じて神棚は目隠し』
忌明けと併せて覚えておきたいのが、逝去時点で仏壇の扉は閉じて半紙など白い紙を貼る地域もあり、神棚にも同様に白紙を貼ります。場所によっては宮川の文字を書いたり、丸に斜線の図を書く地域もありますが、全国区で通用するのは『神棚封じかみだなふう』でしょう。

仏壇は「まだあんたの来る所じゃないよ」という意味の目隠し、神に死はなく神道に於いて死は不浄なものとされ「神さんすみません。ちょっと目をつむっててくださいな」って事、白紙は雲の目隠しを表しており忌明けの時に剥がし「はい、お入んなさい」となるわけです。

『永代供養とは』
永代供養とはずっとだと思ってる人が多いですが三十三回忌の事、墓のある人は三十三回忌を過ぎた骨壺があれば納骨がある際、骨壺から出して墓の奥に撒き上から土や砂を掛けて最後は土に還します。墓の下はカロートと呼ばれる空間があり棚があれば骨壺が置いてあるでしょうが、下面はコンクリートでなく土になってるのはその為です。

『一膳飯と枕団子』
故人の枕元に白木膳を置き、箸を立てた一膳飯、枕団子を置く地域は多いと思いますが一膳飯は諸説あり由来が明確になりませんが、この世の最後の食事、四十九の旅の弁当、昔は高価な白米で中々食べられない物でしたから、亡くなる直前は青竹の中に米を入れ「白いまんま炊いてやるから頑張れ」と伝え亡くなると山盛りのご飯を炊いて帰って来てくれという家族の想いとも言われたり様々な説があります。

枕団子は6個、7個、10個、13個、49個と地域により様々ですが、個人的には6個(6つの世界に1個づつ供える)が違和感がないと感じます。子供頃の聞かされた昔話に六地蔵がありました。正月が越せないと編み笠を売り歩いたお爺さんでしたが、売れ残ってしまい帰る途中、雪が積もってた六地蔵に売れ残った編み笠を被せ、足らないひとつは自分の手拭いを被せて帰ると大晦日の晩、六地蔵が米俵など持ってきてくれ年が越せた話しです。

六地蔵が置かれてる寺もあるでしょう。それぞれの世界の番人の地蔵はよく見れば全て違います。6つの世界に1個づつ供えるのが枕団子、なぜ団子を供えるかについては、釈迦が危ないと集まった弟子達は『医は食から』の如く釈迦に食事させようとしますが食べてません。そこで食べやすいよう米を餅状の団子にして枕元に置きますが、釈迦は口にすることなく入滅(死亡)した事から枕元に置くだけで食べない団子です。

また釈迦が最後に口にしたのが「水」だった事から安置が済むと最初に行うのが『末期の水』です。釈迦の死因は簡単に言うと食中毒ですから現在なら亡くなる事は無かったでしょう。

『守り刀とは』
ご遺体の胸の辺りに置かれる「守り刀」の名前は知ってるけど何で置くのか分らない人が多いです。人は逝去すると腐敗が始まり初期段階の腐敗臭を死臭と呼び、死臭に群がる魑魅魍魎ちみもうりょうから自分の身は自分で守るよう持たせるのが守り刀、武士なら刀、魚屋なら包丁、農家なら鎌、大工ならノミなど刃物を持たせるのです。

この辺りの話しは、まだまだありますが今回はこの辺にしておきます。

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参考資料(お時間のある時にでも読んでみてください)
あんしんサポート葬儀支援センター  
代表ブログ 葬儀支援ブログ「我想う」
家族の死後に後悔しない為の一冊

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