置かれた場所で咲く

以前、”置かれた場所で咲きなさい”(渡辺和子著)という本が流行したが、私はこのタイトルが好きでいて、むず痒い。

人生なんて思うようにいかないことが多く、他の人の人生を羨むこともあるだろう。すべてが平等でなく、どちらかというと不平等に近い。

そんな中で、自分の境遇や立場に納得いかなくて、腐ってしまうこともある。だけど、だったらそこでどう生きるか、どう幸せになるかを考えることが重要なんじゃないかと思う。神様は乗り越えられる試練しか与えないとよく言うけれど、まさにそう。魂を磨くための試練、ステップなのだと思う。

そこで腐らないでどう日々を、今日を生きたかが、後の人生に大きな影響を及ぼす。そう考えると、置かれた場所で咲きなさい とは素敵な言葉だと思う。

一方、むず痒いと表現した理由は、必ずしもその場所に留まる必要はない。そこで我慢することだけが良いわけではない。もちろん、何も手を尽くしていない状態で逃げ出せ という意味ではない。全力を注いで、そこでやるだけやり切った、だけどその先に行きたい、ここの場所じゃない、と思った時は、潔く違う場所で花を育てることもあり とう意味である。

あくまでこれは私の持論に過ぎないが、自分の人生に真摯に向き合っているか が大事なんだと思う。

今出口が見えなくても、そこで日々一所懸命に生きている人には、おのずとチャンスや好機が巡ってくるもの。そこでそのチャンスを活かせるかは、日々の過ごし方にかかっている。

私は力は抜いても、手を抜かないで人生生きていけたらと思う。

そう、今までの私みたいに、肩ひじ張らずにね!

ではまた!

めーぷる。

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