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内藤湖南の「新支那論」(3月20日アップ分の続編)

こんにちは❗️
     
さる3月20日に「内藤湖南」についてのブログをアップしました。
      
こちらです⤵︎
https://note.com/anpuanpu/n/nae8ac51fca44
     
もともとはNHK BS1で放送された「英雄たちの選択」を観た感想を中心にまとめたものでしたが、追って録画した再放送をもう一度観ました。
⤵︎
https://www.nhk.jp/p/heroes/ts/2QVXZQV7NM/episode/te/X7XNQVJYZQ/
     
すると、1回目では全く記憶に残らなかった内容が改めて心に響くこと!
     
その中でも特に、先のブログで私が触れた(以下引用⤵︎)

「また彼(←注:内藤湖南のこと)の中国観では、太平洋戦争終結までの日本の一連の中国進出を肯定するスタンス」
    
(引用ここまで)
     
と、やや曖昧に記した部分の真相が少し解明されたので、再度その部分に触れようとしたのが今回のブログです。
     
その思考をひも解く鍵が、彼の著書、
「新支那論」に載っています。
     
こちらは先に著された「支那論」に次ぐ著書でありますが、当時の日本と中国(主に辛亥革命前後)について、現在も我々が留意すべき示唆に富む内容が記されています。
      
「英雄たちの選択」の司会である磯田道史氏(国際日本文化センター教授)がエンディングで触れた内容が、「新支那論」で湖南が言わんとしたと思われる内容を見事に言い当てています。
     
以下は私なりにまとめました。
     
       
『現代中国の礎は主に宋代まで遡ると見えて来る(いわゆる「唐宋変革論」の主たる論点)。
     
この時代の役人は、実質役に立つか疑わしい(実務とはかけ離れた?)試験によって登用され、その弊害がその後の明代、清代に出て来てしまう。
     
実は現在の日本はこの「試験による登用」の時期と重なるのではないか?
    
つまりは湖南の説は、現在の難しい日中関係を(明代、清代とダブらせて)予見しているのではないか?』
     
という事であります。
     
さらに湖南は、
     
『中国のような悠久の歴史を持つ国であれば、「政治」や「経済」よりも「文化」や「芸術」に重きをおくようになるのは自然な事である(明、清の時代)。
     
そんな中国に対し、日本が政治、経済の面で主導的立場をとることは極めて自然である』
     
と主張し、さらには太平洋戦争へ向けての日本の軍事侵攻についても、その流れでいけば否定されるものではないとまで言っているのです。
     
ただ、それを心から良しとしていなかったのが湖南です。
     
彼自身、晩年は隠居して政治、経済と離れた「文化、芸術的余生」を過ごそうとしたのですから。
    
しかしながら満州事変以後の政変が彼を放ってはおけず、癌に蝕まれた身体を投げ打って最後まで闘うことになるという...
     
     
こうやって考えてみますと、今世界を震撼とされている国際紛争も、やはり報道されている「うわべ」だけでなく、それまでの歴史、地域性等々をきちんと踏まえないとなんとも論じられない。
    
そう思いませんか?
     
ゼレンスキー大統領は他国の議会で
「真珠湾攻撃」を引き合いに出して演説されたそうです⤵︎ 
https://twitter.com/ozorakoki/status/1506466028481495042?s=21
     
ややもすると「ふむふむ」と聴いちゃいそうですが、内藤湖南レベルまで考え抜くと「大きなお世話?」という気もしてしまいます。
     
これまでの僕の反省も忘れませんが、そんなのその時々で比較のしようもありません。
     
      
アララ、
「一ブログ1000文字前後」を目安とする私なのに少し長くなってしまいました😅
      
決して良し悪しでない
「リアルな歴史観」がこれからの世の中、益々大切になります。
      
内藤湖南、さらに深めます♪
     
では

#内藤湖南
#英雄たちの選択
#新支那論

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