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適度適量適当


「適当」とか「適量」とか
生活におけるあらゆる場面で頭の中に混在するようになったワードである。

ご飯もお酒も好きなだけ飲んで食べて寝落ちしていた20代前半だったが最近は自分でストップをかけて適量にするようになった。
自分の時間を使うべきところに使えるように物事に優先順位をつけて100%じゃなくても適当な力で対応するようになった。
前の自分は今日のことしか考えられない!と視界が狭くて0か100かの極端な女だったなあ(それはいまも垣間見るが)

3歳との生活は流れるように過ぎていく。気づいたら夜で、気づいたら朝の繰り返し。
感動する暇も何かに浸るみたいな暇も
うっかりすると過ぎ去ってしまうので、
一時停止して実感する作業が必要になった。
「すげー!!」とか「うまーい!!」「嬉しい〜!!」とかいちいち言葉にすると心に残っていい。

そして、何気ない生活が、流れるような生活がなによりも幸せなので
その幸せを一生忘れないように写真におさめたり言葉に残したりしていることも私にとっての一時停止作業である。

自分の生活を見直す作業なんてことを最近までしたことなかった。毎日100%生活していたし、そもそも自分の生活向上に興味がなかった。そのとき良ければ良かった。
だけど、他人と生活して(夫のこと)子供と生活するようなると見直しの連続で、習慣化→見直しを繰り返しているではないか。面倒くさい作業なのだけどひとつ見直しただけでそれを習慣に加えるの億劫なのだけど(じゃあやらなければいいのに)だけど自分のちょうどよい適度な暮らしを見つけるためには必要なのである。

 

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