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ウィキペディアタウン@津市安濃町を開催しました!vol.2

2月開催が延期されていたウィキペディアタウン@津市安濃町、7月22日(海の日)に無事開催することができました。
今回はvol.2、それぞれ調査を行っていた3つの班が比佐豆知菅原神社(草生天神)に集まり、経ヶ峰の麓にある赤地蔵と常明寺跡を目指すところからスタートします。

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経ヶ峰とは?

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標高819mの経ヶ峰。登山道が複数整備され、頂上には木組みの展望台が整備されています。青山高原や伊勢湾・渥美半島などが眼下に広がり、天候が良いと富士山が見えることもあるそうです。2〜3時間で山頂まで登れるため初心者の方にオススメですが、実はリピーターも多い安濃町のステキスポットの1つです。登山後にあのう温泉を利用してもらう人も多いので、ぜひその際は2Fにあるアノウラボにもお越しください!

かつては「安濃嶽」(あのうがたけ)と呼ばれていましたが、当時この地を治めていた長野家の家臣:近藤左金吾が山頂に大般若経百巻を埋め、それが眠っているという言い伝えから「経ヶ峰」と呼ばれるようになったそうです。
今回は平尾コースより赤地蔵と常明寺跡を目指しました。

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赤地蔵と病気平癒

万病に効くとされる地蔵尊が20体ほど祭られています。病気の治癒のお礼参りにベンガラを塗ったことから「赤地蔵」と呼ばれています。室町時代のものとされ、長い年月で以前は土に埋もれかけていたものもあったそうですが、地元の方が掘り起こして現在の場所に一堂に集めたのだそうです。
地蔵をベンガラという赤色の顔料を塗る風習は全国的にも珍しく、安濃町内でもここだけにしかありません。この風習がどのようにはじまったのかは定かではありませんが、いまもここをお参りされる方がいらっしゃるそう。供えられたばかりのお花やお酒がそれを物語っていました。

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そしてさらに奥へ。八百比丘尼の伝説が残る常明寺跡に向かいます。

常明寺跡と八百比丘尼伝説

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写真では分かりづらいかもしれませんが、所々に石垣や墓石などが確認できました。寺の本堂は織田信長の伊勢侵攻の際に焼き討ちにあい消失したと言われています。また、元々は寺だけでなく集落もあったそうですが、安政大地震の際に山崩れが起き、現在の集落に移ったと言われています。

謎多き常明寺には、もう一つ伝説が残っています。草生地域に残る八百比丘尼(やおびくに)伝説です。八百比丘尼は、特別なもの(人魚の肉など)を食べたことで不老長寿を獲得した比丘尼(尼僧)のことを指します。全国で八百比丘尼伝説が残っていますが、安濃町草生地区はその1つです。

経ヶ峰の中腹にある草生の里(安濃町草生地区)に住んでいた、お里という17歳の美しい娘がいました。
ある日、里の無尽講で人魚の肉が出され、お里はそれを知らずに食べてしまいます。昔から人魚の肉は不老長寿の妙薬と言われており、その日以来、お里は歳をとらなくなりました。
10年経っても20年経ってもいつまでも若く美しい姿のまま。そんなお里の姿に「お里は化け物ではないか」「化け物が村にいるのは不吉だ」と村中が白い目で見るようになります。居づらくなったお里は尼さんになって村を去り、若狭などの諸国を放浪する旅に出ます。途中で病人を治したり、川に橋をかけたり、貧しい人を助けて田んぼや畑を耕したり、と方々で人に尽くし、その姿から「八百比丘尼」と呼ばれるようになったそうです。
そして数百年して生まれ故郷の草生に戻り、その長すぎる一生を終えます。その亡くなった場所が、この常明寺跡だと言われています。
お里の墓といわれる八百姫明神の塚は現在どこにあるのか分かっていませんが、草生地区にある「ひやけ塚」や「おひめ野」「おびが谷」なども、八百比丘尼にゆかりのあるところだと言われています。

三重県が以前作成した「ふるさとの届けもの~伝えたい三重のおはなし~」の中にも八百比丘尼伝説が紹介されています。読み聞かせバージョンもありますので、親子でどうぞ!
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/minwa/chusei/ano/index.htm

現在ではその一部しか確認することはできませんが、先人達が安濃町で暮らし、様々な歴史文化・伝説を後世まで語り継いでくれていることがよく分かりました。
八百比丘尼に会ってみたいな!どれぐらい美しかったんだろう?なんて、下世話な話題で頭いっぱいになりつつ笑、下山して調査終了。
午後からの作業を進めていきます。
(vol.3へ)



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