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ウィキペディアタウン@津市安濃町を開催しました!vol.1

2月開催が延期されていたウィキペディアタウン@津市安濃町、7月22日(海の日)に無事開催することができました。
一時は中止の可能性もありながら、また、コロナ対応で県外の方々や皇學館大学の学生さんなどの参加は叶いませんでしたが、津高校学生さんを中心に様々な方々のご協力のおかげで無事開催できました!

ウィキペディアタウンとは?

地域にある文化財や観光名所などの情報を参加者が協働して収集し、ウィキペディアサイトへ執筆・掲載するイベントです。街歩き(撮影)〜資料の探索と調査〜最後に執筆という流れを1日で行います。
ウィキペディアタウンは2012年からはじまり、日本では2013年2月に神奈川県横浜市ではじめて開催されました。

今回の開催では、様々な講師の方にご協力頂き、事前学習を行なった上で、3つのテーマに沿って3つのグループ毎に取り組む形で進めてきました。

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いよいよ出発!調査と撮影の旅へ

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安濃庁舎前に集合したメンバー達。3班に別れてそれぞれの関連スポットに行き調査や撮影を行いました。私は津綟子に取り組むチームと共にMieMuへ。
学芸員さんの案内で資料室へ行き、文化財に対する取り扱いや注意点を教えて頂きました。

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そして、目の前に現れたのはコレ!

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津綟子(つもじ)とは

主に江戸時代から明治時代にかけて、現在の津市安濃町の村々で生産された綟子織物の一種。布の向こう側が透けて見える程の織物で通気性に優れているので、夏物衣料として肩衣や袴・蚊帳などに用いられていたそうです。
特に、津藩領であった安濃町付近の村々で生産されたものは織り方が精巧で、津の綟子織物「津綟子」と呼ばれ、津藩を代表する名産品として将軍家への献上品や諸大名などへの進物品などにも用いられ、全国にその名が知られていたのです。
明治〜大正でその文化や技術は廃れ、現在のところ県内で現存しているのは4例が確認されているだけ。写真の津綟子肩衣は県の有形文化財として登録され、MieMuで大切に保管されています。
今回はそれを特別に見せて頂くことができました!

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直近で見るとほんとに薄くて、確かにすごく涼しそうです。でもこれを実際に糸から紡いで織っていると考えると、その精密さがよくわかります。
今回は特別に直接触らせて頂くこともできました!
痛めないように細心の注意を払って、そぉーっとそぉーっと…

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こんな技術や文化が町内にあったなんて、住民の1人としてもとても嬉しく誇らしい気持ちになりました!そんな貴重な機会に終始興奮しながらも、次の調査のため移動。

津市安濃郷土資料館へ

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現在、サンヒルズ安濃にある安濃図書館2Fにある郷土資料館。実は一昨年まではあのう温泉のある安濃交流会館にありました。
教育委員会の田中さんより、資料館にある文化財の紹介に合わせて安濃町の歴史や文化を勉強しました。
安濃町及び周辺には数多くの古墳があり、町内からも古墳時代〜弥生時代の石器や矢じりなどが沢山見つかっています。資料館中央には安濃城の復元模型などもありました。

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とても小さい資料館ですが、古墳時代〜昭和初期の安濃町の姿を様々な形で知ることができました。
そして、ここにも津綟子がありました!MieMuで拝見したものに比べると程度は劣りますが、生地の薄さや糸の細さなど、その繊細さを実際に見ることができます。

まだまだ調査の旅は続きます。(vol.2へ)

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