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生きる意味おじさん

 これは私が小学3年生の時の話だ。
 夕暮れ時公園でドッチボールをしていたら、50代ほどの無精ひげを生やした古ぼけた帽子を被ったおじさんが急に近づいてきた。

「君たちなんで生きてるの?」

 私たちは急な質問に驚いて何も答えられずにいた。

「君たちは歴史に残る偉業を為すのでなければ、世界に必要とされる人物でもない。ただ消費され摩耗し、やがて老いて死ぬ人生だ。なんで君たちはそんな人生が待っているのに生きるのか!」

 突然の大声に私は固まってしまった。だが気の強い山田君はアンタが生きてるのはなんでだと聞き返した。

「ぼくはきみたちみたいな人生を知らない子に教える義務がある」

 とニヤっと笑った。その時見えた欠けた前歯が不気味で今でも思い出せる。

「いいか、君たちは生きてる意味がないんだ。生きてる意味がないのに生きることはおかしなことなんだ。生きるのをやめるのが君たちのためになるんだ。これだけはよく覚えてくれ」

 そういってどこかにいった。私たちはドッチを続ける気になれず帰っていった。
 家で母にその時の話をしたとき、生きてる意味なんて死ぬまでに思いつけばいい。それよりへんなおじさんがでたら構わず逃げなさい、とだけ言われた。
 次の日学校で山田君や大路君と昨日のアレはなんだったんだろうと、そんな話をした。みんな生きる意味なんて特に考えてはいなかった。ただ佐々木君だけが生きる意味ってなんだろうとつぶやいた。

「みんないつか死んじゃうのになんで生きてるんだろう?僕のおじいちゃんはボケてみんなに迷惑かけてた。いつかそうなるのになんで生きてるんだろう?」

 その時、私たちは深く考えないほうがいいとしかいえなかった。
 その後佐々木君だけはずっとなぜ生きるんだろう、なぜ生きてるんだろうとずっと考え続けていつしか学校に来なくなった。
 そしてマンションの4階から飛び降りた。
 ノートに生きる意味がわからない、と書いて。

 その後先生たちにおじさんについて聞かれたり、佐々木君の親がおじさんを探そうと必死だった。ただ私は親の仕事の都合で転校したので結局おじさんがどうなったのかわからない。

 今私があれはなんだったのかと考えるのだが、一種の呪いではないかと思う。意味がなくても生きてていいのに、意味がないといけないと思わせる呪い。多くの子はそんなに思いつめないが、一部の子は過剰に思い悩んでしまう。そのことを知って呪いを振りまく。

 そういえば先日娘が急に生きてる意味ってなんだろう、と聞いてきた。一体どうしてそんなことを聞いたのかは尋ねていないが、もしかしておじさんは今も……

さぽーとすると映画館にいくかいすうが増えます