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そうだったの? こどもは 0 歳であっても甘やかしてはいけない!

言葉でコミュニケーションが取れない小さなこどもが泣いていたら、すぐに泣いている原因を解消してあげるのがこどもにとって良いと思っていました。
でもそれって本当にこどものためになるの?ドライカースの著書を読んでいて面白い記述を見つけました。

私は子育てをしていませんが、もしこれを読まずに子育てしていたらきっとこどもを甘やかし過ぎになっていたでしょう。


こどもというのは親の言葉ではなく、態度を見て育つというのは納得できるが、こどもがしゃべれない内から態度に気を付けなければいけないという事の様です。
こどもにとって数少ないコミュニケーション手段は泣くということです。泣くことで両親を呼び、空腹という不快感や排泄という不快感、退屈といった不快感を取り除くことができます。これを繰り返すことによってこどもは「泣く」もしくは「大きな声を出す」という行為が不快感を取り除くに非常に有効的な手段だと学習していくのです。
こどもが泣いた際に、親がすぐに駆け付けて不快感を取り除く場合、こどもは「泣く」ことによってすぐに不快感は取り除かれるのが普通であると判断し、もし不快感が取り除かれなければ更に泣くことによって不快感を取り除こうとするわけです。


しかしながらこのパターンは親にもこどもにも不幸が訪れることになります。こどもは泣けば泣くほど自分の思い通りになると思ったり、思い通りに行かなくても親に抱いてもらったり、揺すってもらえたり、なだめてもらえる何かを得られると発見するのです。そうすると、こどもはどんどん泣くようになり、親はそれをなだめるために常にこどもに付きっきりになってしまいます。親はこどもに拘束されているように感じ、こどもは泣けば不快感を
すぐに取り除くことができたり、時間帯に関係なく泣けば自分の思い通りになると学習してしまうのです。


このようにこどもを甘やかし温室的な雰囲気の中で育てると、こどもは親の都合に合わせる必要がなかったり、不快感を我慢する必要がなかったり、そういった社会性を持つ必要がないという特権を得ることになってしますのです。
こういったこどもへの哀れみや過剰な愛情によって、不快感に遭遇する機会やこどもが勇気を出す必要のある機会を奪い、それに立ち向かう努力をさせないようにしているのです。
この様に、こどもを甘やかせば甘やかすほど、こどもが社会の役に立つ一員になるのを妨げているのです。


そこで、ドライカースはこのように提言しています。
① 授乳の時間を規則正しくし、こどもに規則正しい授乳時間に慣れてもらう
② 空腹やおしめが濡れているなどの不快感に耐えることを学ばせる
③ 親の都合で規則正しい習慣を邪魔したり、十分に眠らせないという事がないようにする
④ こどもの世話に時間を使いすぎたり、泣くときはいつも揺すったり、抱いて歩いたりしないようにする


まとめると、こどもに関心を向けすぎないように気を付ける事と、こどもの無秩序な欲求に答えるのではなく、待つことや耐えることが可能だということを覚えてもらうこと。言葉が話せなくてもそういった習慣を身に着けられる存在であると信じて一緒にいるということだと思います。


私も第 1 子、まさに 0 歳の時から十分に甘やかされて育ったのだと思います。母親も最初のこどもという事でこどもがかわいいでしょうし、他に手のかかることもなかったので泣いたらすぐにあやしてもらえる環境にあったと思います。我が家の祖母の性格から考えるとこどもを泣いたままほかっておくと子育てが下手だとか小言を言いそうなので、泣いたままにするという教育を受けているとは到底思えないですね。
そんな私は保育園の時から大人しい性格で怖がり、泣き虫でしたね。
私だけでなく現代の多くの人が甘やかされたこどもとして育ってきているのだと思います。
甘やかされたこどももいつかは社会生活に適応するために躾られる時がやってきます。その時に急に特権がはく奪されたと感じます。今までは許されていたことが禁じられることが理解できません。そのため、こどもは大きな抵抗を示し、ただ単に親の気まぐれだと感じます。こうならないためにも、少しでも早い時期からこどもを社会の一員として扱い、その習慣を身に着けさせるように我々の行動を改めないといけないという事ですね。


勇気のある子を育てるにはかわいいからと構いすぎないで社会生活できるように、こどもが 0 歳のうちから困難に立ち向かう姿を見守るのも親の務めのようですね。私と同じような苦労をするこどもたちが少しでも少なくなるように、これから親になる方々の参考になればと思います。

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