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なんとなく今日の為に

なんとなく今日の為に生きてきたかもしれないと感じたことはありませんか。

私は転職活動が長引き、お金も無くなってきて、最近は気持ちがほとんど沈んでいます。ただ、そんな時でも明るく接してくれる家族や、友人にすごく救われています。早く就職をしてみんなに恩返ししようと思って、そういった存在そのものがモチベーションになります。

家族でご飯を食べているとき、母が何かずれたことを言って父が笑います。なんだか小っ恥ずかしいと思っていたけれど、そんな日常があることが、今になって、とても幸せなんだとわかりました。私がベランダで洗濯物を取り込んでいる時、帰ってきた父や母が、下からただいまと声をかけてくれたり、朝起きてきておはようと言ってくれたり。リビングでみんなでテレビを見ながら笑い合ったり。近所のイオンに買い物に行ったり。お祭りの屋台でいかやきを買ってもらったり。学生の頃、母が大声で起きなさいと怒っていたことも、今となっては懐かしくて、切ない気持ちになります。そんな当たり前がすごく幸せなことだとやっと気づきました。

友人や、大切な人と出かけたり、特別な旅行とかではなく、ただご飯を食べに行っただけでも、その人が美味しそうにご飯を食べていたり、話が盛り上がったり。

なんでもない今日が、すごく幸せに感じる日はないでしょうか。そんなとき、なんとなく今日の為に生きてきたかもしれないと感じます。

空気公団というミュージシャンの歌で、「なんとなく今日の為に」という歌があります。この歌では、"コップに注がれたお茶を覗き込んで、映った笑顔が揺れている" その様子を見ている側が、なんとなく今日の為に生きてきたかもしれないと感じています。初めて聴いた時、情景を思い浮かべて、本当にそうだなあ、、と感じました。

家族や友人、大切な人、自分の好きな人たちと一緒にいられることは、すごく特別なことなのかもしれません。

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歌:空気公団
作詞・作曲:山崎ゆかり

薄色に誰が映る
きれいなお茶がはいりました
覗き込むその笑顔
映り込んで揺れている
そのとき僕は思うんだ

なんとなく
なんとなく今日の為に
生きてきたかもしれないな

あたり前なんてない
気づかずに過ごしてきました
毎日はどことなく
どことなく新しい
そのとき僕は思うんだ

なんとなく
なんでもない今日の為に
生きているかも

なんとなく
なんでもない今日の為に
生きてきたかも
生きているかもしれないな

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